「にあんちゃん 十歳の少女の日記」 安本末子一番上のお兄さんでさえ、まだ20歳、お姉ちゃんも16歳、にあんちゃんも著者と同じ小学校の6年生で12歳。3人の妹弟を炭鉱での重労働によって一人で支えようとしたお兄さんですが、一家は在日韓国人であったため臨時雇いとしてしか働けず、毎日残業しても一人前の賃金さえもらえない上、不況が災いして真っ先にリストラの対象になってしまいます。社宅がわりの長屋に住んでいたため、職だけでなく住むところまで失うことになり、兄弟4人はバラバラになってしまいます。そんな中でも毎日のように書き続けた日記は、たった10歳の女の子が自分で書いたとは思えないほど豊かな感受性と鋭い視点、そしてしっかりした文章で綴られていて本当にびっくりしてしまいます。そして、日記を書き続けていくうちに、彼女の成長とともに、どんどんその内容も文章も深みを増していきます。そこには、「優れた本をたくさん読み、自分も多くの文章を書いていくことではじめて、本当によい文章を書く力がつく」というお兄さんの妹への思いが正しかったということが表れています。 これは冒頭の文章です。 一月二十二日 木よう日 はれ きょうがお父さんがなくなった日から四十九日目です。にんげんはしんでも、四十九日間は家の中にたましいがおると、福田のおばさんが、そうしきのときにいわれたので、いままで、まい朝まいばん、ごはんをあげていましたが、きょうの朝は、とくべつに、いろいろとおそなえをしました。 そうして、ながいあいだおがんでいたので、学校へ行くのがすこしおくれましたが、いそいだらまにあいました。 学校からかえってくると、兄さんが、「お父さんは、あしたから、もうこの家にはいないのだから、いまからおそなえは、きゅう(旧)の一日と十五日しかしない。」といわれました。私は、それを聞くと、とてもかなしくなった。私は、お父さんのおいはいの前にすわると、なんだか、お父さんが私を見ているような気がしてうれしいのです。だけど、一日と十五日しかおそなえをしないなら、ときどきしかあえません。それがかなしいのです。 ゆうがたおがんだとき、私はお父さんに、「さようなら、おとうさん、さようなら。」といいました。 なみだが、ほおをこぼれた。 「にあんちゃん」は、出版・映画化を経て多くの人の知るところとなりましたが、その後絶版となりました。復刊を望む声が多数寄せられたため、2003年にもう一度新装版として出版されたそうです。この本を読んでいると、今のこの時代だからこそ、必要な本なのかなという気がします。それは、単に逆境に負けず強く生きることの大切さだけでなく、家族同士のつながりや愛情や、自分以外の人を大切に思うことが、この作品の根底にあるからだと思います。そして、家がなく他人の家に居候を転々としながら学校に行くこともままならない中、「学校に行きたい。みんなと会いたい。勉強がしたい。」と切望する主人公の気持ちを、今、さまざまな理由で学校に行けずに悩んでいる子供、また自分の意思で行かない子供、そして彼らの周囲の大人にも読んでもらいたいなと思います。
by cita_cita
| 2007-12-21 00:15
| 読書
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