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「硫黄島からの手紙」

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「父親たちの星条旗」以上に、うまく感想を書くのが難しくてUPするのが遅くなってしまいました。

キャストはやはり渡辺謙と伊原剛志がすばらしかったです。渡辺謙はともかく、この役に井原剛志を抜擢したイーストウッド監督はすごい。そしてストーリーだけでなく、セリフの中にも、日本の言葉や習慣を知り尽くさないとできないような場面がたくさんあって、「アメリカ人の監督がどうしてここまでの表現をできたのだろう」と感心することもたくさんありました。例えば、最初の場面で二宮和也演じる西郷が海岸で塹壕を掘りながらつぶやくセリフ「俺、墓穴掘ってんのかな…」を聞いたときは、ハリウッド映画を見ているとは思えない感覚を受けました。そのほか、全編を通してハリウッドの資金と設備とテクニックを駆使した日本映画を見ているように感じるほど、私達日本人から見ても全く違和感のないつくりになっていました。もちろん、日本人スタッフとの連携がうまく運んでこそ、このような作品が出来上がったのだと思いますが、この映画のどこにも「アメリカ人の想像上の"ニッポン”像」はなく、描かれているのは日本と、日本人そのものでした。

それにしても見ていてこれほど苦しい場面の多い映画も久しぶりでした。途中、追い込まれた日本兵が手榴弾で集団自決をする場面がありますが、今まで文章でしか読んだことのなかった手榴弾での自決があれほど残酷で恐ろしいものであることにぞっとし、思わず目をそらしたくなりました。手榴弾で自決するとどういうことになるのかというのを、私は今まで知っているつもりで何も分かっていませんでした。一緒にいる仲間が次々に手榴弾のスイッチをいれ、胸に抱いて、その体が粉々に散っていくのを見ながら自分の順番が近づいてくるそのときは、おそらくほんの数分が永遠に続くように感じられたでしょう。自分の順番が永遠にきてほしくないのか、あるいは早く自分の順番が来て何もかも終わりにしたいのか、ものすごい葛藤と恐怖の時間だったことだと思います。この場面では、その兵士たちの気持ちが恐ろしいほどリアルに伝わってきて、息が詰まるような思いでした。

西郷が営むパン屋が戦争のために閉店に追い込まれ、材料や道具類も次々召し上げられ、差し出すものは何もかもなくなったとき、夫婦のもとに召集令状がやってきます。そのとき「愛国夫人」たちが「西郷さん、おめでとうございます!」と夫婦ににじり寄る様子には鬼気迫るものがあり、今でこそ「こんな考え方、どうかしている」と何も恐れず言う事ができますが、それができなかったこの時代を考えると本当に戦争というものがいかに人間を狂わせるのかということに憤りを感じます。本来まともで心の優しいはずの人でさえ、何が正しくて何がおかしいのかも正常に判断できなくなってしまうものなのですね。

余談ですが映画が終わったあと、同じエレベーターに乗り合わせたカップルがいて(10代ではないと思う。20歳ちょっとぐらい?)彼女の方が「泣ける泣けるって聞いてきたけど、感動するところも泣けるところもなくって、びっくりしたわ!」って言ってて、それを聞いた私のほうがびっくりした(笑) あれを見て何も感じることがなかったなんて...。彼氏の方は「うーん…微妙やったな」と言ってたんだけどその感想もよく分からなかった…。世代によっては、こんなものなのですかねぇ。ちょっとがっくりしてしまった一幕でした。まあ、世代の問題ではなく、多分その人ひとりひとりによるのでしょうね。「嵐の二宮君が出るから!」という理由で見に行って映画を見てひどく考えさせられたという人もいるでしょうし、同じものを同じ状況で見てもそれをどう感じるかは様々なのでしょうね。まあ、こんなふうに自分なりの意見をもつことができる時代に生きていること自体、感謝するべきことなのかも。
by cita_cita | 2006-12-27 22:46 | 映画
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