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「愛する言葉」 岡本太郎・岡本敏子

e0066369_2324228.jpg岡本太郎と、彼の生涯のパートナーであった敏子さんの愛に関する言葉がちりばめられた本です。
太郎さんの言葉は青い字で、敏子さんの言葉は赤い字で綴られています。分量でいうと敏子さんの言葉が多いのですが、(おそらく、太郎さんが亡くなってから、敏子さんが表舞台で発言する機会が多くなったからでしょうか)それでもまるで二人が会話をしているように感じられる部分もあります。

「つらぬく」、「はぐぐむ」、「ひきあう」、「かさなる」、「ぶつかる」の5つのテーマごとにふたりの心の底から出てきた強い強い言葉がいっぱい載っています。こんなドラマチックな2人なので、やっぱりいつも精一杯の、ぎりぎりの中を生きていたんだなあと、ただただため息をつくような表現も...。

やはり私は同性である敏子さんの言葉の方にハッと感じることが多かったです。
たとえばこんな言葉ですね。
-やれることだけを一生懸命やるの。「私はやれるだけのことをやっている」って思ったら、そんなにヒステリックになることもないと思うわ。
-女の人がよくないと思うのは、男の子がなにかをがんばって失敗したとき、「ほらごらんなさい。あのとき言ったじゃないの」って、すごく情熱的になるところ。思い当たるでしょう?マイナスのときだけ情熱的になるのは女の子の卑しさなのよ。
-なにが起こるかわからない。一刻一刻展開する。生きるって、そういうことでしょう。


でも、太郎さんの言葉にもたまにドキッとするものが...。
-情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚をもつんだ。
-人間というのは生まれつきのかたちで、生きているのがいちばん美しいんだ。
-男性だけの世界観はほんとうのものじゃない。女性だけの世界観もほんとうのものとはいえない。この男と女の世界観がぶつかり合って、そこで初めてほんとうの世界観が生まれるんだ。


あとがきで、敏子さんのおいである平野暁臣さんの言葉があるのですが、これを読むと彼がこの本をまとめた思いが伝わってきます。「多くの人が太郎と敏子の関係は常人と違う異端のものだと考えている。ふたりの生き方に憧れるけれど、自分にはとてもできないと諦めている。でもそんなことはない。ふたりの言葉を噛みしめれば、それがわかる。」
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by cita_cita | 2006-07-31 23:24 | 読書

祝 初シールシャ・アーサナ記念日

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アヌサラヨガの集中コースの2週目が終わりました。
この土曜、日曜と続けて2日間、これで残すは来週の週末だけです。

本当に盛りだくさんの内容なので、体力的にも精神的にも消化しないといけないことがいっぱいで大変なのですが、それ以上に充実感でいっぱいの毎日です。写真は、レッスンで使用しているシャバ・アーサナ用のブランケットと、ヨガブロック(このsuriaのはしっかりしていてとっても使いやすい!)、ヨガベルトです。

生徒の中に、今実際にインストラクターをされている方もいらっしゃるので今日話をしていたのですが、みんな一様に声を揃えて言われていたのが「自己練習をする時間が足りない」ということでした。ヨガのレッスンの最中は、先生は見本を見せるだけであとはとにかくひたすら生徒の間を歩き回り、ひとりひとりのアラインメント(手足や体の正しい配置)を修正してまわらないといけないので、とてもじゃないけどヨガを楽しむ余裕なんて皆無だそうです。(エアロビクスのインストラクターなんかだと、生徒の前でずっと体を動かし続けるのが普通なので、自分の練習にもなるそうなんですが....)1日に3回ほどのレッスンを抱えている方も多いので、結局それ以外の時間に自己練習しないといけないそうで、売れっ子になればなるほどその時間をどう捻出するかが難しくなるそうです。私みたいな会社員と違って、インストラクターの人は毎日ヨガに集中できていいな~なんて能天気に思ってて申し訳ない気持ちになりました...

ところで今日、うれしいことがありました。
午前中のレッスンで、逆転のポーズとアームバランス系(腕でバランスをとる)のポーズを練習したのですが、逆転のポーズは、頭が心臓より下になるポーズのことで、逆立ち系のポーズも含まれるんですね。もちろんいきなりは無理なので壁を使っての練習です。 で、アド・ムカ・ヴリクシャ・アーサナ(普通の逆立ち)とピンチャ・マユーラ・アーサナ(手のひらでなくひじでバランスをとる逆立ち)は先週試してたんですが、今日初めてシールシャ・アーサナに挑戦させてもらって、成功できたんです。シールシャ・アーサナっていうのは、別名ヘッドスタンド、いわゆる三点倒立のちょっと簡単バージョン、頭と、肘から先の手でバランスを取るポーズで、私にとってはヨガをやり出してから、これをやっている人を見てはいつかできるようになりたいと思っていた憧れのポーズだったのです。本当の難易度はシールシャ・アーサナのほうが普通の逆立ちより低いのですが、首にかなり負担がかかるので、先週からの4日間で色んな準備や事前練習をして、今日チャレンジさせてもらえたのでした。コツは足を蹴り上げるのではなく、頭を床に付けたら壁の方歩いていってになるべく背中を壁に近づけた上体でふわりと上がることみたいです。今日できたときはあんまりうれしくて、逆立ちしながら笑ってしまい、周りからみたらきっと不気味だったはず...来週トライしたら、またできるかなー。

さて、なんでヨガでは逆立ちなんかするかというと、それにはちゃんと理由があって、逆転のポーズのメリットは、日頃の重力で下がっている内臓を活性化したり、血液やリンパの流れを良くしたりできること。あと、日頃とまったく逆の状態で世界を見ることの心理的な影響なんかもあるそうです。たしかに今日の逆立ちは私にとって、すっごく新鮮な体験だったかも...。大人になると、子供の頃より恐怖心が強いから、それを超えて逆立ちするのって本当に勇気がいるんですよね...でも、できないと思っていたことができるようになるって、いくつになってもうれしいものだと実感した一日でした。
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by cita_cita | 2006-07-31 00:28 | LOHAS

沖縄の共同売店

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波照間を旅すると必ずお世話になるのが共同売店。波照間の島内にはスーパーやコンビニなんて一軒もないから、島に住む人達はここで食料品や日用品を調達します。電化製品なんかの大きな買い物は石垣島まで出かけて量販店で買って、船積みしてもらうのですが(最近はネット通販を使う人もいるみたい)波照間-石垣間の船は往復6000円。そう気軽には出かけられません。で、私達旅人も滞在中は共同売店のありがたさを思い知るのです。今まで行った場所では、石垣島の北部や西表の大富集落にも共同売店があったのですが、どうやらそのルーツは沖縄本島北部のやんばる(山原)地域にあるらしい…。次の沖縄旅行では、やんばるを旅しようと考えていたので興味津々、調べてみました。

やんばるの北、沖縄本島の最北端に奥という集落があります。この奥集落は昭和20年代ごろまで車の通れる道路がなく、遠くに行くためには船で移動するしかない陸の孤島でした。明治38年に沖縄で最初の共同売店が設立され、昨年100周年を迎えたのだそうです。共同売店ができる前、奥には3つのよろず屋があったそうです。2つは奥集落出身者が、もうひとつは与那原(那覇の東にある港町)からの移住者が経営していました。物資は全て海路で仕入れないといけなかったのですが、この与那原出身者のお店は、親戚の大きな船を活用して一番儲けていました。共倒れになってしまうのを恐れたあとの2人は話し合って店を合併し、共同運営することに決めました。安定供給と安定経営を行うため、村民から資金を集め、その資金で物資を仕入れ、収益は出資者で分配したのです。これが共同売店の始まりでした。明治末期から戦争、米軍統治時代(アメリカ世)、日本復帰(ヤマト世)を通じて、奥共同売店はずっと地域の生活を支えてきたのです。

e0066369_164217.jpgこの情報は、南回帰線のitakaさんも以前ご紹介されていた「オキナワなんでも事典」で読んで知りました。この本は、沖縄好きにとっては必携の書です。読み物としても十分楽しめる上、辞書代わりにも使えます。沖縄旅行中に、「え? 何のこと?」と耳慣れない単語と接したとき、この本を持っていると旅の楽しみがうんと拡がると思います。

さて、この奥集落、私が行きたいやんばるの中でも最北端の端の端、辺戸岬の近くにあります。滞在中にここまで足を伸ばせるかどうかは分からないですが、今でも赤瓦の屋根が残る離島のような風景に出会える場所だそうです。しかし遠いなあー。

共同売店について調べていたら、こんなサイトを見つけました!ひとつは「国頭村共同店誌 うららかうららか」というブログ。ネイチャーガイドが守る宇良共同売店という売店の情報がいっぱいで、内容もすごく興味をそそられることばかりで「梅雨が明けたのでこんな商品を入れました」とか「冷蔵庫の調子が悪く、隣の部落の国頭冷凍の冷凍倉庫に一時保管してもらい、おばぁ御用達の三枚肉もソーキもテビチも難を逃れた。」とか普通に旅したのでは出会えない情報ばかり。ここは、売店を切り盛りする人手不足で存続が危ぶまれた共同売店を守る方法はないかと、その売店の中にネイチャーガイドの事務所を設置し、彼らがボランティアで運営しているのだそうです。今は大型スーパーに車で買出しに行くのも簡単にできる時代なので、この共同売店のように継続が難しくなるケースも多いみたい。そんな共同売店を応援しよう!と立ち上げられたのが「共同売店ファンクラブ」。色んな人がいるんですねー。こちらのブログもとても面白いので興味がある人はぜひのぞいてみてくださいね。
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by cita_cita | 2006-07-30 23:16 | 沖縄

「オレンジページ」に見る沖縄料理

e0066369_1056222.jpg今発売中のオレンジページは「パワフル沖縄ごはん」特集号!中身はゴーヤや豚バラを使ったチャンプルーやラフテーから、沖縄料理店に習うレシピまで充実ラインナップ。それにしても沖縄ブームもここまで極まったかとちょっと感慨深い。

というのは、オレンジページってレタスクラブと並んでものすごく定番かつ一般大衆向けの料理情報誌。 読者層も10代の女の子から孫を持つおばあちゃんまで幅広いはず。ある程度の調理の基礎知識と経験が必要な「きょうの料理」を愛読してる人よりもすそ野は広いと思うし、日頃の特集の内容を見ていても「夏野菜」「大根と白菜のおかず」「あったか鍋料理」「夏の冷し麺」「パスタ特集」なんて、気軽に買って気軽に作れるようなお手軽レシピ満載の雑誌。だから、これを買っている人って必ずしもすっごく料理好きであったり、ちょっと凝った料理を極めたいという人ばかりではないと思う。そもそも、学生時代からよくオレンジページを購読していた私がその代表。そういう広い読者層を満足させようと思えば、特集もあまり偏ったものにはできないはず。それなのに、ここで「パワフル沖縄ごはん」とは!

これって、結局「沖縄料理」というジャンルが、限られた人の好むトクベツな料理ではなく、一般家庭にとってもすっごく身近な存在になったことの現れなのではないかな。私の経験上、男の人の方が食に関して保守的な場合が多いから、奥さんが「ゴーヤチャンプル」をテーブルに並べても、ダンナさんが箸をつけなかったり、子供が「ハンバーグのほうがよかったよー」なんて言うようでは作りがいがない。だけど、その状況が変わりつつあるのかも。本を編集する側だって、やっぱり売れないと困るのだから、「これは売れる!」と予測してこの企画を立てているわけだし、実際本屋を見てもこの号はかなり売れているみたい。

e0066369_10562542.jpgそういえば何号か前のレタスクラブの特集も「フライパンでできる沖縄料理VS韓国料理」だったっけ。5年前だったらこんな特集考えられなかったよなー…。しみじみ。

糸井重里がこんなことを言っていた。「昔、ティラミスを誰も知らない時代があった。その次にティラミスがものすごくもてはやされた時代があった。そして次にティラミスが何か恥ずかしい、かっこ悪いと思われた時代があった。最後にティラミスはプリンやシュークリームのように当たり前の存在になった。もうティラミスは珍しいものでもおしゃれなものでも恥ずかしいものでもない。ティラミスはティラミスとして市民権を得たのだ。」(記憶に頼ってるからかなり原文と違いますが)今、沖縄料理はヤマトの人間にとって「カッコイイ」「おしゃれ」なものなのかもしれません。もしかしたら数年後、「沖縄料理飽きちゃった」という時期がくるかもしれません。でも、小さいころ家で何度もゴーヤチャンプルを食べた子供たちが大人になったら、沖縄料理はもっともっと当たり前の、なつかしいものになるのかもしれませんね。
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by cita_cita | 2006-07-30 00:14 | 沖縄

「Yogini Vol.8」

e0066369_1529135.jpgYogini第8号は満を持してのハタヨガ特集。私にとっては第6号のアシュタンガヨガ特集より応用範囲が広く、かなり内容の充実した構成になっていました。第6号は読み物としては楽しかったのですが、なんせアシュタンガで挫折した経験があるため、なかなか実践的とは言えずつい読むだけになってしまって…。(アシュタンガの82のポーズが可愛らしいイラストで紹介されていたのは非常に気に入りました)

でも今回のハタヨガ特集はとっても実用的かつヨガの知識を深めるのにも最適な内容。 なんといってもハタヨガは今日本で行われてるほとんどのヨガの源流。アシュタンガしかり、パワーヨガしかり、もちろんアヌサラヨガしかり。内容は以下に詳しく紹介していますが、特に「ハタヨガはストレッチと混同されがちだけど、意識の方法によってただのストレッチからヨガといえるものになる」点は本当に大切なことだと思う。また、同じ意味で、特集2の「今自分がどの骨を、どの筋肉を意識しているかで効果が違っている」という話、ちょうどアヌサラヨガの講習をうけながら体感している最中だったので非常にタイムリーでした。特に特集2に関しては、もっと深く学んで「体を知る」を極めたいところです…。

【特集1】ハタ・ヨガ基礎の基礎
日本のヨガの歴史はハタ・ヨガから始まっているとも言えます。今もハタ・ヨガをしているヨギーニはとても多く、その年齢層も幅広い一方で、ハタ・ヨガという言い方はさまざまな意味を持っています。今回は、そのハタ・ヨガを大特集。日本のヨガの歴史と密接に関係するハタ・ヨガの歴史、ハタ・ヨガの意味、ベースになるすべてのポーズとその効果、呼吸、また最新情報などを紹介。
ポーズを行うヨガの大半は「ハタ・ヨガ」と呼ばれます。そのためストレッチや体操と混同されがちな面も。ただ伸ばしたり、曲げたりという動きを真似しているだけではわからないヨガとしての意識の方法などを丁寧に解説。よく見られる「前屈」も意識の仕方で内臓への刺激にもなるとか。おなじみのポーズが数々登場します。
【特集2】体を知る! ~ヨギーニ的保健体育
ヨガのクラスや本などでも当たり前のように登場するカラダの部位の名前。今自分がどの骨を、どの筋肉を意識しているかで効果は全然違ってきます。「TARZAN」を思わせる骨格や筋肉の基礎知識から、当たり前すぎて聞けなかったQ&Aまで。自分のカラダに対する知識を見直す「保健体育」企画です。

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by cita_cita | 2006-07-29 23:29 | LOHAS

ケンタロウカレー第2弾「スープカレー」

e0066369_23122926.jpgケンタロウのカレー#2「スープカレー」をいただきました。実は、スープカレーを食べるのはこれが生まれて初めて。噂には聞いていて食べてみたいと思っていたのですが、機会がなくてなかなか食べることができなかったのです。だから、私の記念すべき初スープカレーはケンタロウの味。

ケンタロウ本人も、初めてスープカレーを食べたときびっくりして「ああ、これもカレーなのか、世の中にはまだまだおれの知らないカレーがあるのか、うまいぜ。」と思ったそうですが、私にとっても未知の味でした。

見た目はさらさらあっさり風。本当にスープみたい。でも、ひとくち食べるとガツンとパンチの効いたホットな味。いろんなスパイスの香りが鼻をくすぐります。これにごはんをすこしずつスプーンで浸して食べるのですが、このシャバシャバ感がたまらない。味のインパクトが強いのでこれぐらいシャバシャバしてた方が、たくさん食べるには胃にもたれなくて理想的みたいです。

ところでこの缶詰、1人分にはちょっと多目なぐらい入ってるので(2人分にはちと寂しい)、器の底にちょっとスープカレーが残ってしまって、ご飯を追加すべきか純粋にスープとして飲むべきか非常に悩みました。余談ですが、ごはんとカレーをちょうどいい分量でよそうのって難しいですよね。私はいつもご飯がちょっと余ってカレーを足すと、今度はカレーが微妙に余ってまたごはんを足して…と食べすぎスパイラルに迷い込んでしまいます。しかもカレーって実は結構高カロリー。キャー、こわいこわい。
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by cita_cita | 2006-07-28 23:29 | おいしいもの

「名馬風の王」 マーゲライト・ヘンリー (絶版)

e0066369_1271737.jpgこの本をずっと探していました。
宮本輝著「優駿」の中で、この本が重要なキーワードとして登場します。最初に優駿を読んだときから、いつか読んでみたいと思っていましたが、最近分かったのは、以前は講談社の子供向けシリーズ「青い鳥文庫」から出版されていたものの、現在では絶版になっており入手困難とのこと。でも、どうしても読みたくて、図書館に問い合わせて蔵書を調べ、やっと念願かなって読むことができました。

「優駿」の中では、この作品は主人公である博正が、彼の牧場で生まれたオラシオン(最初の名前はクロ)のサラブレッドとしての血統を説明する場面で、博正が子供の頃父親に与えられて何度となく読み返した本として登場します。オラシオンの血統はアラビア馬ゴドルフィンというルーツを持ち、そのゴドルフィンについて1940年代に書かれた小説がこの「名馬風の王」なのです。

昔モロッコにアグバという口のきけない少年がいて、王様の馬屋で馬の世話をしていた。そこに一匹の子馬が生まれ、出産とともに母馬が死んでしまったのでアグバは子馬をシャムと名づけて親代わりになって熱心に世話をした。あるとき王様がフランスの国王に贈り物として、国中で一番立派な馬ばかり6頭を選んでプレゼントすることにした。その中にシャムが選ばれ、アグバもその世話役として船に乗ってフランスに旅立った。ところが船上の長旅と度重なる嵐のせいで、フランスに到着したときには立派だったはずの馬は骨と皮だけになってやせ衰え、これに気を悪くしたフランス国王は全ての馬を追い返そうとした。モロッコに帰ることもできず、シャムは王宮の料理番の買出し用の荷馬車を引く馬として、それ以外の5頭は軍隊用として散り散りになってしまった。

ところが料理長はシャムがアグバの言うことしか聞かないのを見て、何とか言うことを聞かせようと無理強いをしたので結局振り落とされて恥をかく羽目になり、この馬を売り飛ばしてしまった。シャムはあらくれものの材木運びの親方に引き取られてこきつかわれ、弱りきって倒れかけたところを通りがかりのイギリス人に買い取られ、彼の養子へのプレゼントとしてイギリスに行くことになり、アグバもシャムとともにイギリスに渡る。その家では、彼や家政婦に大変可愛がられたけれど、養子がシャムをうまく扱えず、怖がってあの馬を追い出して欲しいと言ったものだから、家族は不本意ながら信頼できる知人のもとにシャムとアグバを託すことにする。その知人はいい男だったものの、神経質な妻がものを言わないアグバを気味悪がり、アグバだけが追い出されてしまう。アグバはシャムに会いたい一心で夜中の馬小屋に忍び込むが、これが妻に見つかってしまい、馬泥棒のぬれぎぬを着せられて牢屋にいれられてしまう。

そんなこととは知らない前の家の家政婦がごちそうを持ってアグバに会いに行って、初めて牢屋に入れられたことを知り呆然と立っているところに通りがかった馬車に乗っていたのが公爵未亡人とその養子のゴドルフィン伯爵。家政婦の話を聞いて不憫に思い、一緒に牢屋に連れて行ってアグバに面会し、ことのいきさつを聞いてアグバを牢屋から出し、その足でシャムを買い受けに向かう。晴れて伯爵の屋敷で暮らせることになったのもつかの間、伯爵が一番大切にしているホブゴブリンという馬のお嫁さん候補としてやってきたロクサーヌというメス馬と、あろうことかシャムが交わってしまう。怒り狂った伯爵はシャムとアグバを屋敷から追い出し、アグバたちはじめじめした沼のほとりで孤独な日々を過ごす。

ところがある日屋敷から迎えがやってくる。シャムとロクサーヌの子馬は2歳馬になり、ある日囲いから飛び出して走りだし、調教を受けている最中だった他のどの馬よりも早く駆け抜けた。これを見た伯爵は、自分がとんでもない間違いをしたと気づき、「これはまったく新しい血筋だ。アグバのあの馬のほかにこういう血筋の馬はないはず。ただちに連れ戻せ」と命令したのだった。そしてシャムとアグバは屋敷に戻り、シャムは伯爵と同じゴドルフィンという名前をもらい、シャムとロクサーヌの子馬たちは次々とレースの記録を塗りかえ続けた。シャムの孫、エクリプスはイギリスの誇りと言われたほどで、エクリプス系という系統の始祖となった。シャムは長生きして29歳で死んだが、アグバはシャムの一生を通じて世話をし続け、シャムが死んだ翌日にモロッコに帰っていった。

とまあ、こんなストーリーです。優駿を読めば、これと同じ程度のあらすじは大体分かるのですが(博正が語ってくれる場面があるので)やはり原書(正確に言うと原書の和訳)を読むと感じるものがたくさんありました。子供向けの本なので、分かりやすい表現でかいてあって、1日で読めてしまいましたが、一番最後の数行を読んだとき、読んでよかったと心から思いました。とっておきの終わり方なので、ここにはあえて書きませんが(ごめんなさい)、でも子供だけが読むにはもったいない小説でした。これ、絶版になったのは本当に惜しいです。同じように思う人も多いようで、「復刊ドットコム」というサイトでも多くの人が復刊希望のコメントを書いていました。そのコメントにやはり「優駿を読んで興味をもった」という人が多かったのが印象的でした。
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by cita_cita | 2006-07-28 23:29 | 読書

鴨川納涼床

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これは昨日の晩の四条大橋からの風景。
祇園祭も終わって、本格的に京都にも夏がやってきました。
最近お手ごろな店が増えてきたとはいえ、やっぱり床は高値の花。
私も比較的安価なお店に、ひと夏に1回行けばいいほうです。
でもその高値が非日常感・特別感を高めるというか、これがいわゆる「ハレ」の場なのでしょうね。
床に座って楽しむのはひと夏に数回で充分。それ以上だとかえって値打ちが下がります。その他の日には、鴨川を渡りつつ、ずらりと並ぶ床を眺めて「京都の夏」気分を楽しみましょうか。

PS. 今年は三条大橋西詰のスタバに床が登場しているので、いつもよりは床に出られる機会も増えるかも!
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by cita_cita | 2006-07-28 00:22 | 京都

五感(GOKAN)のお米の純生ルーロ!

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たまたま駅から出て京都高島屋の地下を通って地上に上がろうとして、ふと目に付いた「お米の純生ルーロ」(注:ロールの間違いではない)。実は一部のスイーツ好きの間ではかなり話題になっている商品らしいのですが、私は初めて知りました。でも別のお店でお米のロールケーキを食べたことがあって美味しかったので、1本買ってみることに。シンプルなパッケージも気に入りました。クリーム色の箱の上に、本物の稲の穂がデコレーションしてあるんですよ。

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家に帰って、家族に食べてもらおうと切り分けてびっくり。切るのがかわいそうになるぐらい、もんのすごーく柔らかい!シフォンケーキなみにふわっふわなんです。でもシフォンケーキよりはずっとキメが細かい。なんでこんなに柔らかくできるのかな…お米の粉っていうのがポイントなの? 断面を見ると分かりますが、そのふんわり空気を練りこんだみたいなケーキ生地の中に、生クリームと大粒の丹波黒豆が巻き込まれています。生地もクリームも甘さ控えめでとっても美味!材料の牛乳には、私の超お気に入り、京都の美山牛乳を使っているのだそうです。美山といえばかやぶきの里として有名ですが、あそこでドライブがてらに買うベーコンや牛乳、卵の美味しいこと!それを使ってるというだけで高ポイントです。なんというか、ゴージャスではないけど、ひとくちごとに幸せが口に広がるようなやさしい味なんですよー。本店は北浜らしいのですが、デパートではうめだ阪急と京都高島屋で販売されているみたいです。1本(840円)で4人家族ならたっぷり満足だと思います。通販もあるそうなので、興味のある方は、ぜひ。
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by cita_cita | 2006-07-27 23:56 | おいしいもの

左ききという生き方

だいぶ以前にも書きましたが、私は左ききです。
ミクシイで「左きき」の人のコミュニティがあって、そこで「これまでで左ききとして何らかの差別を感じたことはあるか」というテーマで盛り上がっていたのですが、やっぱりみんな多かれ少なかれ何か経験しているようです。その中で印象的だったものをいくつか…

その1:大人になってから会社のおばさんに「あらぁー左ききなの?親は直さなかったのねえ」と言われ親のことまで馬鹿にされたような気がしてひどく腹が立った
これは頭にくると思いますよ。こういう人がいるから、子供が将来不憫な思いをしないようにと思って矯正(矯正という言葉自体差別だ!)させる親がいると思いますが、ホント、悪循環です。左ききは何も悪いことじゃない。利き足に右と左があってOKなのに、なぜ腕は右と左で優劣を付けたがる人がいるのか分からない。
その2:「船舶2級の免許を取りにいき、右利きの先生には違和感があったらしく間違っていないもやい結びを何度もやり直しさせられた挙句実技中止。怒りを通り越して悲しくなってきた…
これは…この試験官の試験をすべきじゃないでしょうか???
その3:中学のころ塾の先生が「自分の子供がスプーンを持てるようになったけど、左で持とうとするからやばいと思って右に持たせるようにしつけている」と言っていて、「左ききってヤバいことなんだ…」とショックを受けた
私もそういう経験あります。うちは祖父が昔気質の人だったので、盆暮れ正月に田舎に行くたび、私を見て「まだ直らないのか」と幼稚園から高校生まで言われ続け祖父の前で字を書かないようにしていました。日頃両親に言われないだけに(習字教室に通わされたけど、結局毛筆は右、硬筆は左で練習した。両親も小学生の低学年で何も言わなくなった。)まるで左ききが異常なことみたいに言われたことが本当にいやだだったし、おかげで大人になるまで長いこと祖父が嫌いでした。子供って子供なりに色々感じています。こういうことを言うのは絶対にやめたほうがいいと思う。
その4:身内ならともかく他人から右に直すことを強要されると「アタシが左だったらあんたのナニが困るのよ~!」と思った。
あはは、その通りですよね。私もそう言ってやればよかった。
その5:左で書いたという理由で国語の成績を下げられた。左で書いていることについて先生にうるさく言われ続け、親が抗議した。 
きっとこれはだいぶ昔に小学生時代を送った人だと思いますが…もし今の時代にこんな先生がいたらとんでもないですよ。

私は、世の中の色んな道具が右利き用に作られていることは差別だとは思いません。だって需要が多いものをたくさん作るのは当然のことだから。だけど、上に書いたようなことは差別と言われても仕方ないなって思います。

でも、これを読んでる方の中で、もし子供の左ききを右利きに変えようとしてる方がおられたら、考え直してもらいたい。右利きの人は直された経験がないから分からないと思いますが、あれは非常に精神的に辛いものです。たとえ左ききで多少不便な思いをしたり、まわりの心無い一言で傷つくことがあったとしても、それ以上に、そのままの自分を親に認めてもらえないほど辛いことはないです。左ききにとって、左ききを認めないことは自分を認めないことと同義なんですよ。私は、自分が左ききでなければ気付かないことが、これまでの人生でいっぱいあったと思うし、何かを考える時、目の前に見えていることだけでなく、それ以外の見方があるのではと考えるように(難しいけれど)心がけています。あらゆる分野のマイノリティといわれる存在に関して、色々考える機会も多いです。それは自分が左ききであることが大きく影響していると思います。左ききであったということが、今の自分の考え方の一部を形成したといっても過言ではありません。少なくとも私は親が左ききを強引に矯正しなかったことに感謝しているし、左ききでよかったと思うことはあれど、後悔したことは一度もありません。確認したわけはないけれど、多くの左ききの人がきっと同じことを言うだろうと思います。なんだかとりとめのない文章ですが…ちょっと熱くなってしまった。すみません。

ただね、左ききだけで団結して小さくまとまったり派閥を作ったりして右利きに対抗する必要はないと思うんですよ。大切なのは右利きでも左ききでも、それがその人自身だということ。それさえ分かっていれば右か左かなんてどっちでもいいと思う。右利きにもメリットがたくさんあるように、左利きにもいいところがあるんだし…全員がどちらか1つだったら、つまらない世の中だと思いません?

ところで世界では左手を”不浄の手”とする文化がある一方、セルジオ越後によると「ブラジルでは左ききが生まれると"神様からの贈り物だ!”と喜ぶ」のだそうです。なんていい国なんだ…。
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by cita_cita | 2006-07-27 00:17 | その他