カテゴリ:映画( 48 )

「父親たちの星条旗」

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「硫黄島からの手紙」を見に行ったら、同じ映画館で同じ時間にこちらもやっていました。
今週末までで終了とのことで、まだ間に合うと思っていなかったので、これ幸いと路線変更。結果的には見ておいてよかったと思います。

私の印象では硫黄島での戦闘シーンが50%、戦争から帰還してからのシーンが40%、そしてストーリーのつながりを担う現代のシーンが10%という感じです。ピュリッツァー賞を獲得した有名な「硫黄島の星条旗」の写真の裏に隠された、その写真をとりまく人たちの話です。

この映画に関しては、多くの人にぜひ実際に映画を見てもらいたいという気持ちが強いのでストーリーはあまり説明しないことにします。確かに残酷なシーンもあります。爆風で体の一部が吹き飛ぶような場面も映っています。でも、この映画で見せたかった一番大切なことはそれだけではないはずです。残酷なシーンは、それが必要だったから存在するのだと思いました。実際の戦闘場面で描かれる戦争の悲惨な現実と、そこから離れてもなおフラッシュバックする記憶、そして忘れられない友人達の最期の姿。その時は隣り合わせに恐怖に耐えていたはずなのに、自分は今ここで英雄として立派な待遇を受け、友は二度と還ることがない、この差は一体どこから来るのか...何かが一つ違えば、ここにいるのは自分ではなかったはずなのに。英雄扱いされればされるほど、行き場をなくして酒に逃げ道を求める者もいます。全てを割り切ってこれから先の人生に目を向ける者もいます。そしてただ沈黙を守り続ける者も。

映画が始まって、米軍が硫黄島に攻め込む最初のシーンを見たとき、驚いたのは、自分がカメラの向かっている目線で映画を見られないことでした。そこまでずっと追いかけてきたはずの主人公や仲間の米兵達の目線をカメラは追っているはずなのに、私は攻められる側の、カメラの向こう側の気持ちでしか見られなかったのです。これまで戦争映画と呼ばれる作品をいくつも見てきましたがこんなことは初めてでした。硫黄島のおかれた状況や、上陸の様子が沖縄の座間味や伊江島とオーバーラップしてしまって、どうしてもそういう見方しかできなったのです。映画を見ているだけだというのに、そのときは本当に背筋がぞっとするような感覚でした。

でも、見続けていくうちにどちらの側でもなくなっている自分に気づきました。米兵に対する敵意も感じないけれど、かといって日本兵を敵だとも感じないのです。これまでの戦争映画は、どちらかが善でどちらかが悪だという描かれ方のものがほとんどでしたが、イーストウッド監督は意図的にそれを避けたようです。だから、米兵の心の触れ合いのようなシーンが描かれたかと思うと、次の場面では残虐に日本兵に火炎放射器を放ったりします。日本兵に関しては不気味なまでにその姿は見えません。私は、この映画を通してイーストウッド監督に「で、君はどちらが悪いと思うのか?」と質問されているような気がしました。起こった現実はただひとつ、でも悪いのはどちらかだなんて、単純に決められるような問題ではないのです。でも、戦争がこれだけ人の心と体をぼろぼろにして、戦争が終わってからもいつまでも傷を残し続けるということ、そこまでして得るものにどれだけの意味があるのか。「戦争反対」なんてセリフ、この映画にはひとことも出てこない。それどころか「英雄」たちは「戦争のために国債を買ってください、私達を応援してください」と叫びながらアメリカ中を旅し続けることを余儀なくされる。それでもこの映画にはしっかり「反戦」というメッセージが刻みこまれています。

ストーリーや脚本もよかったと思いますが、小さなエピソードや場面ひとつひとつがとても効果的に使われていました。祝福の花火の閃光と爆音によって、最前線での自分にひきずりもどされたり、真っ白なババロアにたっぷりとかけられた真っ赤なストロベリーソースを見て思わず無言になった彼らが何を思ったのか、解説などなくても全員に伝わったでしょう。そしてインディアン出身のアイラの正義感ゆえの苦悩と差別という現実、彼の送った人生は戦争というテーマとはまた別の、世の中が抱える悲しい問題を私達に突きつけてきます。

この映画以上に評判が高いという「硫黄島からの手紙」、ますます見るのが楽しみになりました。
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by cita_cita | 2006-12-15 00:20 | 映画

「無花果の顔」

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試写会で桃井かおりの初監督作品、「無花果の顔」を見てきました。
正直、1回見ただけではよくわかんなかったです…(笑)愛想ナシですいません、でも知ったかぶりしたくないもんで...私には分かんなかったというだけの話で、分かる方には面白いと思いますよっ! ちょっと会場の音響が悪くて(専門の映画館でなくイベントホールだったのもあるかも…)家族の会話が聞き取りにくかったのが非常に残念でした。あるひとつの家族の日々が描かれています。毎日は淡々と進むようでいて、その中でもそれなりにドラマはたくさんあります。家族の死、再婚、出産…知っているようで知らない互いの秘密…。

ストーリーはかなり淡々と、また時には脈絡もなく進むのでぼんやり見てるとわからなかったり、逆に真剣に見てると「なんで?」と考えすぎてしまう部分もありました。もう1回見たら印象が違うのかも。特に印象的だったのは色彩の鮮やかさ。登場人物の衣装(父親を除きみんなかなり個性的なセンスの持ち主…桃井かおり演じる母親の影響か?)、家の中のインテリアなど、一度見たら夢に出てきそうな国籍不明のカラフルでキッチュな色合い…ちょっと「嫌われ松子の人生」思い出したのは私だけ?山田花子はかわいかったのだけど、ちょっと高いで喋る標準語が、どうしても不自然で無理してるように聞こえてしまった…。

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ところで今回の試写会のもうひとつのお楽しみが、桃井かおり本人による舞台あいさつ。始めて見たナマ桃井さんは、ストンとしたシルエットの黒いワンピースに身を包み、いたずらっ子ぽく、舞台ソデからひょいと顔を覗かせて現れました。細~い!そして肌きれいー!そして口を開けば、サバサバしててちょっと(かなり)不思議な桃井節が炸裂。うーむ、40歳、50歳台に向けて自分の目指すべき方向性としては、あんな風になりたいなあー。桃井さん曰く、「あたりまえの日常の中にたくさん存在している幸せを描きたかった。」「後になってから、”あのときは幸せだった”と思うのではつまらない。その時、その瞬間に幸せを実感できるようになりたい。そんなことを考えながら見て欲しい。」ということでした。言っていることには非常にシンクロできて、そうだよなーって思えたのだけど、映画の中からそれを読み取れなかったのは残念。せっかく見る前に本人のコメントまで聞けたっていうのにさ…(笑)
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by cita_cita | 2006-12-09 01:07 | 映画

「プラダを着た悪魔」

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はい、前からチェックしてたこれ、さっそく見てきました。
監督があのSATC(Sex And The City)のシーズン6を担当したデイビッド・フランクル、スタイリストもSATCのスタッフということでSATCファンの私としては見逃せない!と思っていたのでした。映画が始まって最初の数分で、あの絶妙なBGMと華やかな映像にワクワクさせられます。

大学卒業後、ジャーナリストを目指したアンディ(アン・ハサウェイ)は世界のファッション界をリードする雑誌「ランウェイ」社のスゴ腕編集長ミランダ(メリル・ストリープ)の第2アシスタントの面接を受けます。それは何百万人もの女の子の憧れの座なのだけれど、ファッションに興味がないアンディはここで頑張って箔をつけ、本命のジャーナリズムへのステップにするための腰掛け程度にしか考えていません。

ところがアンディが会社で見たものは「ヒールをはかない女は女ではない」と豪語し、シャネルやゴルチェのスーツに身を包みマノロ・ブラニクの靴で大理石のフロアをカツカツ闊歩するスタッフたち。最初、アンディには自分に次々と投げられるミランダの指示に出てくる固有名詞(ブランドであったりデザイナーの名前であったり)が全く理解できず、困惑するばかり…。

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そしてミランダの無理難題な要求の数々…「嵐の夜にフロリダからNYへの飛行機を飛ばせ」だの「ハリー・ポッターの(発売前の)最新作の原稿をもってこい」だのアンディの携帯電話は昼夜問わず鳴りっぱなしの状態。友人たちとの食事の場でも恋人と迎える休日の朝でもおかまいなし。もともと優秀なアンディは様々な知恵とコネを駆使してこの難問に応えようとしますが、そのせいでだんだん恋人や長年の友人とも疎遠になってしまいます。それなのに自分を全く認めてくれないミランダにアンディは不満いっぱいで先輩の敏腕ファッション・ディレクター、ナイジェルに話を聞いてもらおうとします。でも、彼から返ってきたのは「君は努力せず愚痴を言っているだけ。認めてもらいたければそれだけの仕事をしなさい。」という厳しい一言。これでヤル気に火がついたアンディはナイジェルのアドバイスを受け、ファッションセンスを磨き、見る見る洗練されていきます。

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ここでの見どころはアンディの華麗な変身ぶり。軽快なBGMに乗せてどんどん美しくなっていく彼女が描かれる部分は、ちょうどあの「プリティーウーマン」をほうふつとさせます。あの中のジュリア・ロバーツを見て心はずませた思い出のある女性なら、きっとこの映画も同じように楽しめるはず。そして、圧巻はメリルのゴージャスな衣装の数々。メリル演じるミランダが出勤時、実につけていたコートとバッグを秘書の机にドサッ、バサッと放り投げるシーンが、延々続くのですがここがまたすごい。すっごく豪華な衣装を着ているはずなのですが、コートもバッグも、そして中に着ている衣装も一瞬だけしか映らないのです。ここはDVDが発売されたらぜひチェックしたいところですね。

すっかりファッション業界のセンスを身につけ、アシスタントとしてもミランダに認められ、パリのファッションショーに同行するほどの実力をつけたアンディですが、「自分が本当にやりたかったこと」はここにあるのかと、ふと考えるときが訪れます。そしてアンディが選んだ道は…。再び「自然体の自分」に戻ったアンディ。でもその姿は、ランウェイ社に面接を受けに来た時のアンディとも違います。あの時は「自然体」というより「何もしていない」状態だったけれど、今は「超一流のセンス」も「超一流のスキル」も身につけた、その上での「あえての自然体」(笑)(byニキータ)

この映画見ると、「自分が一番やりたい仕事って?」「仕事を通して自分はどんな人間になりたいの?」ということについて考えちゃいます。それと、「ああ、オシャレは女の特権だよな。せっかくの特権ムダにしちゃだめだよなm(u_u)m←反省」ってことも。

それにしてもメリル・ストリープ、歳とっちゃいましたねー。でも相変わらず名演技は健在。彼女は絶対こういうちょっと(今回のはちょっとどころではないが)キツイ女の役が似合いますよね。「マディソン郡」はミスキャストだったと今でも思っている私…他に、メリルの役どころで結構すきなのが「シー・デビル」の女流恋愛作家なんだけど、これって結構マニアック?
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by cita_cita | 2006-11-25 00:14 | 映画

「太陽 The Sun」

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ロシアの監督、アレクサンドル・ソクーロフの作品(ロシア・イタリア・フランス・スイス合作)ですが、ほとんど全て日本語だけで物語は展開します。それもそのはず、この作品の主人公は昭和天皇、裕仁(ヒロヒト)天皇なのです。イッセー尾形がその大役に挑んでいます。そして、皇后役にはイッセー尾形と2人芝居の経験もある桃井かおり。彼女は映画のラスト10分になってやっと登場しますが、さすがすごい存在感でした。天皇の一番の側近である侍従役には佐野史郎。

舞台は第2次世界大戦の末期。すでに広島には原爆が落とされ、ポツダム宣言を受諾する直前の日本(というか皇居の中)です。天皇は廃墟となった皇居の中の、唯一焼け残った石造りの生物研究所の地下に作られた小さな退避壕の中で、皇后や皇太子とも離れてひとり生活しています。(正確には多くの侍従がいるのですが)外の世界は壊滅的な状態となっていますが、この中だけは不気味なほどに静かで、外界と切り離されたような時間が流れています。

侍従が運んできた朝ごはんを天皇が一人用のテーブルで静かに食べ終えると、侍従が今日の日程を伝えます。
侍従: 「10時 御前会議 12時 海洋生物学の研究、14時に午餐、15時から16時まで午睡…」
天皇: 「アメリカ軍がここに来たらその日程はどうなるのだろう?」
侍従長: 「日本人が一人でも生きている限り、アメリカ人はここに来ません。大正13年の日本国民を侮辱したアメリカ人など…」
天皇: 「あ、そう。…日本に最後に残る人間が私一人になったら、どうするのかな?」
侍従長: 「お言葉ですが、陛下は天照大御神の天孫であり、人間であるとは存じませぬ」
天皇: 「私が神である証拠はどこにも何もない。この皮膚も他の人と同じではないか」
侍従長: 「…」
天皇: 「怒るな、まあ…いわゆる冗談だ」

天皇は、陸海空軍の大臣たちとの御前会議でも明治天皇が詠んだ平和の歌を例に出し、もう敗戦を認めたいとの意思を表しますが、周囲がそれを許してくれません。また、自分は神ではなく人間だということを何度となく口にしますが、その度に周囲から「陛下、その様なことをおっしゃらないで下さい。」と懇願されます。最高の地位にいるとされながら、自分の思うことを口にすることも許されず、いつも慎重に考えてから言葉をえらんでポツリポツリと話す天皇の様子を、イッセー尾形が非常に上手に演じています。最初は形態模写っぽく、ちょっとやりすぎ?と思ったのですが、見ている間にだんだん裕仁天皇そのものに思えてくるから不思議です。特に、裕仁天皇の口癖だった「あっ、そう」という言葉をいう時のタイミングとか、口をもごもごさせてから話すしぐさなんか…。天皇は、大勢の侍従や大臣たちに囲まれながらも常に孤独で、つい「誰も私のことを愛してくれていない。皇后と皇太子以外は。」とつぶやくシーンがあります。また、マッカーサーとの会見のシーンで「現人神(あらひとがみ)でいるのは疲れるでしょう。」と問われ、 「なんと言いましょうか。それは…楽ではありません。」と応じます。

これらの会話は、おそらく記録に残っているものではなく、ソクーロフ監督の想像する「ヒロヒト」像から生み出されたエピソードや発言もあると思います。ソクーロフ監督はかなり日本びいきな人らしく、作品中の昭和天皇にも批判的というよりは好意的な視点を向けて描かれています。ここでは、神としての「天皇」ではなく「ヒロヒト」という1人の人間に焦点が当てられています。劇中で起こる色々な出来事はとにかく淡々としていて、外で繰り広げられている惨状を考えると多少不快に感じてしまう部分もあるかもしれません。でも、こういう側面もあったのかと、自分が今までまるで考えなかった視点に驚きました。天皇は、周囲の言いなりになっているわけでなく、一人で思い悩む日々を送っています。外で何が起こっているのか、日本に勝つ望みはあるのか、彼にはよく分かっています。でも、彼には絶大な力があるようでいて、どうすることもできません。無力感にさいなまれてうたた寝すると、B29が翼の生えた巨大な魚に変身し、そこから産み落とされた小さな小魚が爆弾となってどんどん東京を焼き尽くしていくという非常にシュールな夢となって天皇を苦しめるのです。

最後、ついに「人間宣言」をして、「私は成し遂げたんだ。これで私達は自由になれる」と晴れやかな笑顔で皇后に語りかけます。物語に一筋の光が差したかに見えます。しかし、そこに現れた侍従に天皇が「私の国民への語りかけを記録してくれた、あの録音技師はどうなったかね?」と問いかけると侍従から返ってきたのは思いがけない一言でした。「自決しました。」 それを聞いた時の天皇と皇后の表情。無言でしたが、すごく印象に残る迫真の演技でした。なんとか気を取り直し、「でも止めたんだろうね?」と言う天皇に、侍従はひとこと、「いいえ」と応じます。国民を苦難から開放するために、「日本は敗北した、自分はただの人間だ」と決死の決断で宣言した天皇、それなのにその言葉を聴いてしまった、それを録音してしまった技師がそのせいで死を選ぶという皮肉さ。そしてエンディングでは「玉音放送」が遠くに聞こえてきます。

会場から出るときは、観客全員、なんともいえない表情と重い足取りでした。多分外で次回の上映を待っていた人達にとってみたら「なんだ、いまいちだったのかな?」と感じたかもしれません。でも、多分彼らもその2時間後に映画館を出るときにはきっと同じ表情で出て行ったと思います。

とても難しく、重苦しい部分の多い映画でしたがやはり見てよかったです。ただ、やはり最近になって、沖縄と戦争との関係についての本を読んだり色々考える機会が多かったせいか、若干ひっかかってしまう場面もなきにしもあらず、でした。例えば、御前会議で集まった旧日本軍の大臣が「いよいよ本土決戦の時がやってまいりました。私達はいつでも準備できております」と、いかにもこれからが本番であるというような言い方をする場面があります。私は、これを見ると「では沖縄は一体なんだったのか」と無性に腹が立って、軽く聞き流すことができませんでした。そして、孤独な天皇を気の毒に思いつつも皇居のお堀の外で起こっているできごとを考えるとなぜこんなになるまで…と苛立ちを感じてしまう部分もありました。この映画を見た人全てがそう感じるわけではないと思いますが…でもそれが素晴らしい映画である所以かもしれませんね。誰が見ても同じ感想を持つ映画なんて、つまらないですもんね。こういう映画をロシアの監督が作ったというのも驚きですが、日本で作るのはまだ無理なのでしょうか・・・。
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by cita_cita | 2006-10-16 22:50 | 映画

「ナミィと唄えば」

e0066369_2336959.jpgとっても元気をもらえる映画を観てきました。
「ナミィと唄えば」は、映画だけど、物語というよりドキュメンタリー。主人公のナミィおばあこと新城浪さんは85歳になる現役の三線弾き。沖縄最後の現役お座敷芸者とも「人間ジュークボックス」とも言われている元気いっぱいのおばあです。

ナミィおばあは石垣島の新川出身。9歳で那覇の辻(花街)のお座敷に250円で身売りされ、15歳で親戚に買い戻されて家族の移住したサイパンへ。その後も台湾、宮古、与那国、那覇、石垣と渡り歩きながらも常に唄三線を人に聞かせ続けてきたのです。そのおばあが作家の姜信子さん(この映画の原作者でもあります)と出会ったことがきっかけでこれまでの人生を振り返る旅に出ます。与那国、台湾、那覇、東京...。おばあの観客は人間だけではなく、時には御嶽(うたき)の神様であったり、無念のまま死んでいった人たちの霊魂であったり、自然そのものであったりします。古典の三線弾きの名手と呼ばれる人たちと比べ、お座敷の三線を低く見るような風潮もあったそうですが、そんなことはどうでもいいじゃないかと感じるくらい、おばあの唄は本当に心に響く歌です。

劇中でおばあが歌う歌は...
ナミイのデンサー節/酒は涙か溜息か/星影ワルツ/鷲ぬ鳥節/ラッパ節/酋長の娘/ストトン節/南洋帰り/十九の春/老後の花/与那国のマヤ小/桑港のチャイナタウン/トゥバラーマ/アリラン/湯の町エレジー/サヨンの鐘/安里屋ユンタ/日本陸軍/案山子/東京音頭/二人は若い

この中で、鷲ぬ鳥節を2回歌ってくれるのですが、ちょうど今練習中の曲なので思わず私も口パクで一緒に歌ってしまいました...。2回目のが特によかったな。

おばあはまだ小さい頃、お座敷が嫌で、稽古が辛くて、辻の料亭を抜け出して近くにある波の上宮という神社の境内の崖っぷち(波の上宮は海沿いの断崖の上にあるのです)で横になり、そのまま眠ったことがあるのだそうです。このまま眠っているうちに落ちて死んでしまえばいいと思いながら...。すると夜中に自分を呼ぶ声が耳元に聞こえて、誰かが優しく足をつかんで、崖と反対にひっぱっていき、「ナミィ、生きろよ~。お前の唄でみんなを喜ばせるんだぞ。」とはっきり言ってくれたのだそうです。ナミィはそれを神様の声だと信じていて、70年以上たって初めて波の上宮にお礼参りに行きます。親友となった姜信子さんと自分の孫息子を伴って。ナミィがここで神様にお礼を言いながら祈るシーンは、思わず泣けてしまいます。

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全体的にはとっても楽しく、底抜けに明るいナミィおばあのキャラクターが前面に出た陽気な映画なのですが、ところどころ泣けて仕方ない場面が出てきます。ここで泣けるかどうかは、それを見た人によって全然違うと思う。だって、おばあのとっても個人的な経験から語られることばかりだからぴんとこない人もいるかもしれない...。でも私にとっては、一人の人間の唄や人生がこんなにも他人を感動させることがあるのだなーと、人間ってすごいなーと感激し通しでした。

他にも与那国島のクブラバリという場所で死んでいった女達に向かって歌をささげるシーン、昔の芸者仲間と50年ぶりに再会して一緒に演奏をするシーン、台湾でハンセン病患者の療養所を訪問し、一緒に唄を歌うシーン...どれもナミィおばあの唄を聴いているだけで、おばあが唄に自分の思いを全てこめて歌っていることが感じられるし、そんな唄を歌えるおばあを本当に素敵だと思います。おばあの唄にはおばあが今まで生きてきた中で経験してきた色んなものがこもっています。おばあが芸者仲間の上地シゲさんと一緒に演奏する「鷲ぬ鳥節」は、もう高齢で4年も琴に触っていないシゲさんが一生懸命ちんだみ(調弦)を合わせるのですが、結局うまく合わず、それでもなんとかナミィおばあの歌う唄三線に合わせてついていこうとします。ナミィおばあも音が外れているのは分かっているけれど、一生懸命歌います。この場面を見て、今習っているこの歌をもっともっと大切に歌おうと決心しました。また、おばあが最近になって行きつけのスナック「君佳」でカラオケを聴いて気に入った「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」という曲をどうしても三線でマスターしたいと思い、石垣の白保に住む三線弾きの男性から一対一で曲を習います。この時のおばあの様子や、家に帰ってからも曲を吹き込んでもらったテープを熱心に聴きながら一生懸命歌を自分のものにしようとしている85歳のおばあの真剣な表情を見て、「帰ったら三線練習しないと!」と思ってしまいました。

特に胸に響いたのは、おばあのよき理解者(カレシとして紹介されていました)である大田さんの自宅の庭に建てられた留魂之碑の前でおばあが歌う場面。昔、戦争中に中国から大豆を運ぶ安東丸という船が遭難して、乗組員であった中国人や韓国人は旧日本軍に捕らえられ、1日におかゆ1杯の食事で強制労働させられた上、日本が敗戦するとその事実を隠すために西表の鹿川という場所に置き去りにされたそうです。ここは廃村も同然で、彼らは言葉も土地も分からず、衰弱し、餓死したり、まだ西表のいたるところで流行っていたマラリアに感染して全員祖国に帰れないまま死亡したそうです。そういう浮かばれない魂をここにまつって彼らのことを忘れないようにという思いから、大田さんが個人的に建てた碑なのです。その話を悲痛な表情で聞いていたナミィおばあが、彼らの魂を慰めるために「アリラン」を歌います。そして、その演奏が終わった後、ポツリと「すみませんでした」と言って頭を下げました。それを見ていて、本当ならウチナンチューであるおばあではなく、ヤマトの人間が言うべき言葉なのにと思うと本当にやりきれない気持ちとおばあへの感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

多分全国で数本しかフィルムがないらしく、各地での上映期間は短いけれど、もし機会があればぜひとも多くの人に見てもらいたい映画です。沖縄や三線が好きな人はもちろん、そうでない人にも...。もし興味のある人は、こちらの公式サイトに上映予定などが掲載されています。また、こちらのサイトには、この映画ができるにいたった経緯や、おばあと大田さんの出会いなどについても書かれていてとても参考になりましたのでぜひ覗いてみてください。

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台湾訪問時のおばあ。台湾には日本語を理解する人たちがまだたくさんいます。日本の歌を知っている人たちもたくさんいます。このシーンは少数民族の村のようですが、ハンセン病患者の療養所ではおばあは日本語の歌を知っている患者さん達の前で三線を弾き一緒に歌を歌います。おばあがこの施設を訪ねたのは、大田さんの勧めからです。大田さんは、今は沖縄でも忘れられかけている、ある八重山の歌を残そうとしています。その唄は「宇根ぬ親ゆんた」(うにぬやゆんた)という曲です。この曲の内容は、ハンセン病にかかってしまったため、手足の指を失い、夫や家族にも捨てられてしまった女性の嘆きを歌った悲しい歌です。歌詞の最後に「もし沖縄本島に行かれたら、5本の指を買ってきてください。10本の指を買ってきてください」という意味の歌詞があり、劇中でもこの部分が流れていました...。

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このシーンは、与那国島のクブラバリ(久部良割)というところで亡くなった女達のためにおばあが唄を歌うシーンです。人頭税のため与那国が困窮していた時代、口減らしのために妊婦に岩の亀裂(幅は3m、深さは7m)をこちらからあちらへと飛び越えさせ、飛び移れた者だけが助かるという風習があったとか...。身重の体ではほとんどの女性は落ちて死んでしまっただろうし、飛べても流産したのではないかと言われています。おばあはこの場所のことを話には聞いていたけれどやっと歌うことができるといい、お酒をまいてこの地を清め、唄を歌っていました。
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by cita_cita | 2006-10-10 00:35 | 映画

「UDON」

e0066369_18353115.jpgUDON、見てきました!
見に行った理由は2つ、私の大・大・大好きなさぬきうどんの映画であることと、さらに輪をかけて大好きなトータスが主人公(ユースケ・サンタマリア)の親友役で出演してるということ。

正直、映画としては話がうまく出来すぎという感じですが、まあそこは置いておいて…。なんていうのかな、うどんを取り巻く奇跡というか、おとぎ話という感じのストーリーなので、実写の映画よりはマンガとか、絵本にしたらすごくいい話になると思うなー。

でもね、やっぱり香川やさぬきうどんに思い入れのある人から見ると「あ、あの店や!」とか「あのおっちゃんが出てる!」とか、別な楽しみ方ができてよかったし、さとなおさんの影響で「恐るべきさぬきうどん」やホットカプセル(恐るべきさぬきうどんの発祥のきっかけとなった「タウン情報かがわ」の出版社)から出た本やその他のうどん本を読んでたから、出てくる人たちのモデルになった人や背景もちょっと分かったりして楽しめました。なにより、丸亀出身である監督の地元への思いが詰まっていて、ふるさとを大切にする気持ちってやっぱりいいよなーって思いました。

なんだかんだ言って結構楽しんだなあ。最初に中北が出てきて、お客さんがアスパラ持ってきたとき「あ、そうそう、ここはお客さんが持ち込みしたものを揚げるんだったよな」とかおばちゃんが「ねぎは裏の畑からもってきて!」と言うのを見て「あ、これはなかむらや」とか卵の天ぷら(青海苔いり)を見て「これ、竹清!行きたいけど土日祝休みやから行ったことない!」とか「うわー!赤坂のおばちゃんの喋り、久しぶりに聞いたー!」とか一人でクイズ番組みたいに楽しんでました。

私が見ている中で気付いた店は、中北、やまうち、なかむら、松岡、道久、さか枝、谷川、宮武、長田in 香の香、山越、日の出、小縣家、竹清、池上、赤坂、田村、あたりや、白川、はまんど(これはラーメン屋)です。他にももっと登場してたけどさすがに全部は分からなかった。トータスがなかむらの店外の空き地でうどんすすりながら笑ってるのとか見たら無性に食べに行きたくなっちゃった…。

ユースケのお姉ちゃん役の鈴木京香がうどんを目の前にじーっと考えるシーンがあって「うわーっ、熱いうどんに熱いだしやねんから、はよ食べな伸びる!ボケッと見てないで早く!」と一人で焦ってしまったり(笑)

そういえば最後に劇中のユースケの実家である松井製麺所の新メニューが色々登場するのですが、その中でちらりと映ったカレーうどん!あれがなんとお盆のさぬきツアーで私が食べそびれた(玉切れだった)松井うどんのカレーうどんそのものだったのです。あれを食べるために詫間まで行ったのになあ…。ちなみに松井うどんは本広監督の実の弟さんがうどんを打っておられます。あと、登場した中で行きたいなーと思ったのはユースケと小西真奈美がうどんにハマるきっかけとなった三島製麺のうどん。あそこのおばちゃんとの会話が、めちゃくちゃリアルで「そこの上にあるネギのせて、醤油かけて卵割って…」とか「今日は天気がいいけん、表で食べても気持ちいいですよ」というあたりを見てるとますますさぬき行きたい熱が高まってしまいます。

うどんブームを表す場面では、見た人は分かると思うけど、あまりにも多くの映像が分割された画面の中でぐるぐるといっぱい動いたのでしつこいというか、ちょっとやりすぎかなーと思うところもあったのですが、地元の人の協力なしではできなかった映画だから、できるだけ多くの人を出してあげるためにもしかたないのかな…でも私としては大好きな池上の瑠美ばあちゃんとか、私のうどん観を買えた田村のおじさんのニコニコえびす顔や、しばらく行ってない谷川のおばちゃんたちの元気な顔が見られたのでうれしかったな。

讃岐富士のある美しい風景や、低くおわんみたいに可愛い山(いつも思うけど日本むかし話にでてきそうな形!)がポコポコならんでその前に川が流れていたり、小さなため池があちこちにいっぱいあったりする、あのさぬき独特の風景が何度も出てきて、やっぱりキレイなところだよなーって、自分のふるさとでもないのに感動してしまった。あと、ブームのせいでお客さんが狭い道にいっぱい車を駐車したりして近所に迷惑をかけるのがいやなので店を畳もうとする店主や、玉切れで行列が立ち去った後にいっぱい残されたポイ捨てのゴミを一生懸命拾いながら歩く近所の人の様子なんかも出てきて、このあたりは本広監督からの問題提起なのかなと感じましたし、かなりリアルな話なので自分も気をつけなければと思いました。

設定的にはマンガチックで無理のある部分もあったけれど、結構ホロリとする場面もあったりして…。それにしても、うどんは香川県民のソウルフードだということを改めて感じさせられる映画でした。本広監督がこの映画を作ったのだって、香川やうどんを愛する気持ちあってのことだろうし、実際、作中に出てきたようにあんなに小さなころからうどんと共に歳を重ねれば、「うどん大好き!」なんて特に意識しなくても、自分の中にうどんの味は一生染み付いて離れることはないと思う。だから、ユースケが演じた主人公みたいにしばらく家を離れたさぬきっ子が、うどんを食べた瞬間ふるさとを思い出してぐっとくるっていう気持ちは大げさな作り話ではないんだろうな。それこそがソウルフードって言うものだよね…。

あなたにとってのソウルフードは何ですか?
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by cita_cita | 2006-08-31 00:32 | 映画

「嫌われ松子の一生」

e0066369_2310333.jpgもぅー中島カントク最高!私の中では、あの名作「下妻物語」を超えました!
公開前からひたすら楽しみに待っていたこの作品、一足早く試写会に行ったミニョン堂通信のアヤさんも絶賛していて、本当に待ち遠しかったんですが…先週末に公開されたのでさっそく見に行ってきました!

この映画、色がすごいです。色の洪水。絵の具をぶちまけたみたいにビビッドでポップでキラキラです。音楽のプロモーションビデオなんかで、こういう色彩のはあったけれど、それが2時間以上続くってのはすごいもんです。これは中島カントクにしかできないですね。下妻もビビッドでしたが、さらにパワーアップしてます。

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そして中谷美紀がめっちゃ美しい。美しいんだけどダメ過ぎる…。いや、ダメなのは中谷美紀じゃなくって、松子なんですけど…。松子、あんたホンマええ加減にしときや。親を喜ばせようと勉強も頑張って、教師になるんだけど、ひょんなことから墓穴を掘って学校をクビになり、家出して冴えない作家と同棲し、目の前で自殺されたあげく立ち直って不倫に走り、さらには捨てられてソープ嬢に転落。さらにさらに痴情のもつれで人まで殺してしまい、刑務所で囚人生活。出所してもやくざの情婦になって麻薬取引の手伝いしたり…そして常に恋人には殴られ蹴られ…とまあ、どうしようもないダメ人間っぷり。常に「なんで?なんで?」という選択を続け、最後に53歳で殺されるまでの壮絶な人生です。原作はかなり暗く救いようのない終わり方みたいなんですが、そこを中島カントクが絶妙のアレンジで「笑える」場面の多い映画にしています。

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中谷美紀の歌も秀逸です。本当に歌がうまい。声もいい。彼女以外にボニー・ピンクやAIの歌もあるのですが、ミュージカル調になってて、バックにお花とか鳥とかもいっぱい飛んじゃって、それで松子の不幸な境遇がかなりカバーされています。個人的には新しい恋人ができたとき(不倫だけど)の歌のシーンと、松子がソープ嬢になって店の売上No.1として稼ぎまくるときのシーン(どっちもミュージカル調)が歌も映像も楽しかったな。それにしても中谷美紀はどんな格好も似合う。女教師のスーツ姿&ジャージ姿、若奥様風、ソープ嬢、囚人服、美容師、やくざの女…ホンマにすごいです。そしていつも殴られまくりの鼻血出まくり。でも殴られて青くなった目の周りを押さえながら松子はこういうのです。「でも、一人になるよりはマシ…」と。全体的にはものすごいハイテンション映画なんですが、ちょっとホロリとさせられるところもありましたよ。一人で誕生日ケーキ食べるところとか、お父さんの日記読むところとか、キラキラ光る荒川を故郷の筑後川と重ね合わせて泣くところとか…。

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ほかに私にとってツボだった部分は、最初にスカウトされる女の子(蒼井そら)があとでAV女優になってたところとか、松子の実家のふすまの柄とか、教師時代の初恋の相手(体育教師?)のファッションとか、刑務所に土屋アンナがいたところとか、ゴリ(ガレッジセール)のなんちゃってパンクロッカーキャラとか、黒谷あすかのエロかっこいい着物姿とか…。あと、ボニー・ピンクがソープの場面で歌ってるLove is Bubbleっていうカッコイイ曲は彼女がこの作品のために作曲したものなんですねー。素晴らしい!それと、なぜかいつも大事な局面でテレビを見ると「サスペンス劇場」のクライマックスで片平なぎさが出てるのもツボにはまった。

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見るところが満載のこの映画、小ネタがいっぱいで、「下妻物語」みたいに何度見ても楽しめそうです。もう一回映画館に行ってしまいそうな予感…。
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by cita_cita | 2006-05-31 00:01 | 映画

「ブロークバック・マウンテン」

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1ヶ月ほど前の話になりますが、「ブロークバック・マウンテン」を見てきました。
アカデミー賞8部門にノミネートされ、作品賞は「クラッシュ」に奪われたものの、監督賞はじめ3部門受賞した作品です。

この映画を「ああ、あのカウボーイのゲイ映画やね」と一言で片付ける人もいるかもしれないのだけど、この映画は、「ゲイをテーマにした映画でしょ、あんまり見たくないなー」という人が見ても、逆に「この手の映画好きなんだー。楽しみー!」という人が見ても結局不満足に終わるのではないかなと思います。前者の人が見ると、きっと「げーっ、男同士でキスしてる! 嫌だ、やめてくれー!」ってなるだろうし、そんな場面ばっかりが頭に残ってしまうと思う。後者の人だと「あれ?思ったより普通の映画。なんか物足りないなー」となるのかもしれない。というように不満足なまま、映画館を出るハメになるのではないかなと…。

というのは、私の感想では、この映画では「同性愛」というのはクローズアップされるべきメインテーマではなく、単に「自分たちの力では絶対に越えられない障害」の象徴として描かれているのではないかなーと思ったからです。だからある意味ゲイでなくても良かったのかも。例えば、めちゃくちゃ金持ちの若いお嬢さんと超びんぼうなオッチャンの恋愛とか。 マネキンに恋をした男の話とか。 でもね、それでさえ何とかなってしまうことってあるはず。金持ちお嬢さんと貧乏おじさんが結ばれて幸せに暮らす可能性って、そりゃ低いだろうけど決して0%ではない。マネキンの場合は不可能なはずなんだけど、映画の世界ではそれさえも可能になったりしますよね(笑)でも、この時代のこの土地(ワイオミング州)の極度に保守的なカウボーイ社会において、同性愛っていうのはもう絶対にあってはならないこと。たとえ、それが「自由の国」アメリカであっても。それを象徴するシーンとして、物語中では2人でつつましく小さな牧場を経営していたカウボーイ2人が見せしめのようなひどい殺され方をする場面が出てきます。自分が生きているのはそういう社会だということを嫌というほど分かっている2人の苦悩は、2人の気持ちが通じた瞬間から始まるのです。男女だと、相手が仮に結婚していても何かの拍子で全てひっくり返ることもあるかもしれない。でも、ここではそれはありえません。絶望的なほどありえない。そこまでの障害を抱えた関係って他にはないのでは? 私自身は同性愛者じゃないし、男性でもないので、こういうことが自分の身に起こるということはありえないのですが、もし自分だったら・・・という視点でみれば、また違った感想が持てるかも。今より状況が好転することは絶対になく、年月は無常に流れていき2人は歳を重ね、関係を断ち切れば楽になれるかというとそうではないなんて、これは男女であっても、男同士であっても、女同士であっても関係なく辛いことなのではないでしょうか。

この作品には原作がありますが、60ページ足らずの短編です。その世界をここまで膨らませた脚本と、それを撮り上げた監督は本当にすごいと思います。監督のアン・リーは台湾出身で、私の大好きな監督です。彼の作品で最初に見たのは「ウエディング・バンケット」。それから「恋人たちの食卓」と「推手(Pushing Hands)」を見て、ますますファンになりました。(この3つは父親三部作としていずれもラン・シャンという俳優さんが父親役で登場しています。彼がすごく味があるのです…)その後、「いつか、晴れた日に」で本格的にアメリカに拠点を移し、「アイス・ストーム」、「グリーン・ディスティニー」で名前を知られることになりました。(個人的には、アイス・ストームは全編ちょっと暗すぎて97年の公開当時はあまり好きじゃなかった。今見たら違う印象を受けるかも) 私は台湾時代のアン・リーの作品もすごく好きです。もともとこの監督は、豪華なセットにお金を掛けた映画でなくとも、人間模様の絡み合いや心の葛藤などを描かせたらピカイチな人なので、今回はその部分がうまく出ていてよかったと思います。あとは、ワイオミングの壮大な大自然の映像が本当に素晴らしかった。特に羊の放牧の様子を空撮した場面などは、TBSの「世界遺産」を見ているかのような美しさでした。羊が一定の方向に沿って、一面の緑の中をゆっくり動いていく様子が、まるで白い川が流れているようなんです。

ただ少し気になった点を言わせてもらうと、2人の関係が奥さんにばれるタイミングがあまりにも早すぎたような…あとは、最後の場面でイニスがジャックのシャツを握り締めて「ずっと一緒だ・・・」という字幕が出たのですが、英語は"Jack, I swear"でした。そのまま訳すと"ジャック、君に誓うよ”となるので、何を誓うかは分からないのですが和訳によってだいぶ印象の変わる場面です。どんな訳にすればいちばんぴったり来るかは人によると思うのですが、やっぱり「ずっと一緒だ」と言われてしまうとイメージがそれだけに固定されてしまうのですね。映画翻訳って難しいのだなーと思った場面でした。

多分、一回きりでは細かい場面ややりとりを色々見過ごしていると思うので、もう一度見てみたい映画です。
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by cita_cita | 2006-04-20 23:53 | 映画

「寝ずの番」

昨日は会社が早く終わったので...行って来ました、「寝ずの番」
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原作通り、どこをとっても放送禁止用語連発のすごい映画でした。中島らもさんの頭の中をそのまま映像かしたような世界…(笑) 出色だったのは、木村佳乃と中井貴一の関西弁のうまさ。2人とも東京出身なんだけど、イントネーションだけでなくてツッコミとかボヤキの間(ま)が完璧。 ぼそっと「アホらし!」とか「なんでやねん」とか言うんだけど、あまりにも自然すぎる・・・。監督のマキノ雅彦(津川雅彦)が、「うそっぽい関西弁を喋る役者は一人も使わない」と言っただけのことはあります。京都出身の岸辺一徳とか兵庫(淡路島)出身の笹野高史なんかはさすがに何の違和感もなし。(当たり前か)

今回見ていて思ったのが、普通の映画と客層が違うなーということ。たまたまかもしれませんが、多分落語好きの人が多かったのでしょう。梅田のガーデンシネマで見たんですが、落語を知らないと笑えない場面で先に笑ってる人が結構いるんですよ…。例えば、橋鶴師匠(長門裕之)がトイレに行きたいあまりに「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)というネタを超ハイスピードで終わらせてしまうという場面があります。落語を知っている人ならこのネタが上方落語を代表する大ネタで、普通にやると1時間はかかるというのを知っているので、「師匠は酒飲みでよくお腹をこわしていた」→「その師匠が地獄八景をやらはったときのことや…」という流れだけで、もう先が読めてしまうんですね。 その他にも、「師匠に”死人のカンカン踊り”を見せてもらいまひょ」という場面があって、これは「らくだ」というネタを聞いている人にしかピンと来ないところです。で、やっぱりここでもあちこちから「くくくっ」という笑い声が聞こえました。とは言え、落語を知らない人でも、この後のシーンを見ると絶対爆笑間違いなしなんですけどね。もうひとり、私の前の席のおっちゃんが過剰に下ネタに反応していて、禁止用語が出るたびにおかしくてたまらないようで「ガハハ!」と手まで叩いて爆笑しています。それもいやらし~い笑い方でなくて、あまりにも無邪気に笑っているのでこちらもだんだん慣れてくるから不思議…(笑)

私は昔お囃子で三味線を担当していたので、久しぶりに三味線がいっぱい見られたのもうれしかったです。寄席なんかで三味線の音色を聞くことはよくありますけど、裏方なもんで、間近で三味線を見る機会ってもうすっかり無くなってしまって…撥(バチ)とか指掛け(左手の指にはめてすべりを良くするためのもの)とか、小物がたくさん出てきたのが懐かしかったなあ…。お囃子の曲で普通前座が使う「石段」って曲があって、私はこれを弾くのがすごく好きでした。あと、枝雀師匠が出囃子として使っていた「ひるまま」という曲も好きで、でもこれは難しくて何度練習してもスムーズに弾くのは難しかったですね…。

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映画が終わった後、テロップが流れて「終」の文字が出たとき、会場から拍手が起こったときは(本当に誰かれともなく拍手が起こったんです)映画でなく、寄席を見に来たみたいな錯角さえ味わいました。とにかく下ネタのオンパレードなんで、一緒に行く相手は気をつけたほうがいいかもしれませんが。(隣の人が気になって笑えないようでは辛いので…)「ここまでやるか!」という意味では今までなかったほどの映画なので、観てみる価値はあると思います。今後TVで放映されることは絶対にないと思うので(あったら恐ろしい…)劇場で見るのも一興ですね。ただ、面白いかどうかは人によって賛否両論でしょうけど…。

ローカルなお寺や地名がいっぱい出てくるのも面白かったです。最後の、町並み全体が映る場面で、隣で見ていた容子ちゃんが「南海電車が映っていたわあ」と言ってました。(注:容子ちゃんは南海沿線在住) 私も、堺正章が出てきたとき「あ、MKタクシーの制服や」とひそかに思いましたよ(笑) 多分、橋鶴師匠のモデルが故笑福亭松鶴師匠だと思うのですが、その自宅が帝塚山にあったので南海電車を映したのかなーと私なりに推測しています…。ちなみにその自宅跡は今、弟子の鶴瓶の手によって「無学」という寄席小屋になっています。ここで月1回、鶴瓶が「これは!」と思う人を招いて「帝塚山 無学の会」というイベントをやっているのです。ゲストは当日まで内緒なんですが、毎回そうそうたる面々が出ています。以前から一度は行ってみたいと思っているイベントです。
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by cita_cita | 2006-04-13 20:35 | 映画

「かもめ食堂」

公開早々さっそく見てきましたー。「かもめ食堂」です。
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先に群ようこ作の原作本を読んでいたのですが、私は原作より映画の方が好きでした。 群ようこさんの文章、昔は大好きで面白いと思ったのですが、今の自分にはあまり合っていないのかも…。それなりに楽しく読めたのですが、物語に入り込めないままなんとなくストーリーを追いかけているうちに本が終わってしまいました。映画の方は、ほぼ原作のストーリーに忠実でしたが、若干アレンジしている部分や省略しているところがありました。サチエ(小林聡美)がフィンランドに食堂を持てるようになったいきさつとか、ミドリ(片桐はいり)が「どこか遠くに行ってやる」と思うようになるまでの背景とかは省いてありましたね。 でも、それがなくても全然気にならなかったです。
それと、お店に泥棒(本当は泥棒じゃなかったけど)が入るエピソードなんかもだいぶアレンジされていました。

この話は、フィンランドのヘルシンキにある「かもめ食堂」が中心になって回っていきます。食堂のオーナーであるサチエは初めひとりで食堂を切り盛りしているのですが、そこにひとり、またひとりと仲間が集まってきます。この映画は全編フィンランドロケで、その北欧の空気の中でとても穏やかにストーリーが進行していきます。大きな事件もないし、淡々とした映画なのですが、出演者の小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ(マサエ役)のキャラクターのおかげですごくほのぼのとしたいい空気感に満ちた作品になっています。

もう一つのみどころとしては、フィンランドの風景とインテリア。洗練された北欧デザインのオンパレードです。例えば、かもめ食堂のメンバーのエプロン、かもめ食堂の家具・食器・調理道具、サチエの家のインテリア(腰高窓に床まで届く長いカーテンとかサチエの部屋の床のラグとか)、市民プールのデザイン、サチエが立ち読みする本屋さんの本のディスプレイの仕方、何もかもがため息ものに美しく、かつ機能的。(マサエが買ってきた服にはびっくりしましたが…) 北欧は、夏が短くて冬の暗く厳しい時期が長いから、きっとお家にいる時間をいかに楽しく心地よく過ごせるか、その時間を本当に大切にしているからこそ優れたデザインが生まれていったのでしょうね。ここで出てくる優れたデザインは、全て生活に密着したものばかり。そういう、「日々のもの」に手をかけるのは、家の中での生活を大切にする気持ちの表れだと思うのです。例えば逆に沖縄の生活を考えてみると、家の中は必要最小限、とってもシンプルで素朴で「デザイン性」というとやはり北欧にはかなわない。だって、沖縄では素晴らしい色やデザインはいつだって一歩家の外に出れば道ばたの花にも、空や海の色にもあふれているのだから…。

かもめ食堂では、イッタラの食器で砂糖をサービスしたり、コーヒーを飲んだり...あーあの器、前から欲しかったんだっけ・・・去年信楽でやってたアラビア窯の展示を見に行ったときも買うかどうか迷ったんだっけ...。ちなみに私が映画を見た「京都シネマ」の1階には「アクタス」が入っていて、もちろんこの器も置いています。映画終わったときには店が閉まっていたけれど、もし開いていたら間違いなく1客買っていただろうと思われます...あぶないあぶない...。

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これが問題のイッタラの器。欲しい...ヤバイっす。(イチローじゃないけど)

この映画を見ると、おにぎりが食べたくなります。そして、おいしいコーヒーを飲みたくなるし、いれたくなる。劇中でコーヒーをおいしくする呪文「コピ・ルアック」っていうのが出てきます。最初、これを聞いたとき「ものすごくインドネシア語っぽい響きだなー」と思って聞いていました。この言葉が何度もでてきて、気になるので家に帰って持っていたインドネシア語辞典で調べてみると…つづりが分からないのでRuak、Reak、Leak、Luakとやって、見つけました!Luakはイタチという意味です。コピはKopi、もちろんコーヒーのことです。直訳するとイタチのコーヒー。辞書にもちゃんと載っていました。イタチのふんに混じったコーヒー豆のことで、最高級の幻のコーヒーといわれているそうです。映画でおじさんがサチエに説明していた通りです。イタチは、最高の香りを放つコーヒーだけを選んで丸呑みするので、そのフンの中の豆だけを集めると本当においしいコーヒーが出来上がるという…私はあんまり飲みたくないですけど(笑)
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辞書のLuakの項目。コピ・ルアックの説明もばっちり載っています。

言葉といえば、映画の中でサチエ役の小林聡美さんが喋っていたフィンランド語、素晴らしかったです。私にはチンプンカンプンたけど、あんなに複雑そうな言葉がすらすら口から出てくるなんてすごい。もう何年もフィンランドに住んでいる人みたいでした。それとお料理の手際も見事でした。コーヒーを入れる手つき、あつあつのカツに包丁を入れる手つき、赤ピーマンを刻む手つき、そしておにぎりを握る手つきの慣れたこと!きっと普段からお料理上手な方なのでしょうね。

最後に、「やっぱり猫が好き」の大ファンだった私としては、久しぶりにもたいまさこさんと小林聡美さんの組み合わせが見られたことがうれしかったです…
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by cita_cita | 2006-03-28 23:42 | 映画