カテゴリ:沖縄( 55 )

三線クラブ 合同練習会

e0066369_23322729.jpg先週末の三線教室は、月に一度の合同練習会の日でした。
私は初級クラスなので、いつもは同じレベルのみんなと仲良く気楽にレッスンしているのですが、合同練習会は同じ三線クラブに所属する中級や上級クラスの人たちもみんな参加するのでちょっとドキドキです。しかも、今回は数ヶ月に一度沖縄から参加してくださる大工哲弘先生が来てくださる日ということで会場は緊張でいっぱい。私の参加している大阪三線クラブは、大工先生の門下に当たるのです。大工先生は、八重山民謡の第一人者といわれるぐらい有名な人でいっぱいCDも出しておられるのに、私ときたら、習い始めた当初は先生の名前を知らなくて、三線を習っていない沖縄好きの人に「大工先生っていう人の門下らしいねん」と言って「大工先生って、大工哲弘?すごいな!」という反応を見てびっくりしたという罰当たりな経験があります。

私たちと同じ初級の平日クラスの人たちは「てぃんさぐぬ花」を、私たちのグループは「芭蕉布」を演奏して、先生からアドバイスを頂きました。開口一番「(テンポが)速すぎるね」とのご指摘。そう、みんなで演奏すると、いつもつい速くなってしまうのですが、このときは緊張で特に速くて唄と演奏についていくので精一杯だったのです。先生が見本を演奏してくださったのですが、同じ曲とは思えないほど違いすぎる…。 はあー、次回からは曲を大切に、ゆっくりやらなきゃなと反省したのでした。芭蕉布は、沖縄の曲には珍しい三拍子の曲で、ゆったり流れるような美しい曲です。先生のアドバイスを胸に、来週から頑張ろうと皆で誓いました。あと、今練習している「なりやまあやぐ」(宮古島の民謡)も、上手に歌えるようになりたいな…。

私たちの後には中級、上級の先輩たちの演奏があり、それから今年の新人賞を受ける人たちの個人演奏が続きました。みんなとっても上手で、沖縄生まれでもない人たちが一生懸命練習してこんな曲ができるようになるんだなと思うと、ちょっと感激でした。前で演奏した人たちの会話を聞いていると、「大工先生の目の前で演奏するのが一番緊張する。ここで一度緊張しておけば、新人賞の本番なんて、緊張もしないうちにあっという間に終わってしまう」と言ってました。そうなんだ…私もいつか先生の前で演奏できるようにコツコツがんばろう。
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by cita_cita | 2006-03-27 23:21 | 沖縄

「沖縄文化論 ~忘れられた日本~」 岡本太郎

e0066369_2263765.jpgこんな骨太の本を読んだのは、久しぶりのような気がします。いやあ、面白かった!ちょうど先日、岡本太郎の生涯のパートナーであった岡本敏子さんとよしもとばななの対談本「恋愛について、話しました」を読んで敏子さんの感覚を非常に面白いと思っていたので、こんな女性が夢中になった岡本太郎の本も読まないとなーと、興味が持てそうな本を図書館で見つけて借りてきました。でも読み終わった今は、この本を手元に置いておきたくて、自分でも購入しようと思っています。

岡本太郎といえば、私にとっては「芸術は爆発だ!」であり、「太陽の塔」であり、「自分の中に毒を持て!(私の妹が高校生の時持っていた彼の著作。今思うとわが妹ながらすごい…)」など、エキセントリックでちょっとイッてしまった人(失礼!)というイメージがありましたが、「沖縄文化論」を読んでひっくり返りました。まさに目からウロコとはこの事。昔、彼がまだ健在だったころに出演していたテレビCMを見たことがあって、画面の中で喋っていた時のイメージで岡本太郎という人を捉えていたのです。そのイメージそのままのぶっ飛んだ文章を想像しながら読み始めたのですが…これほどの厚みのある内容を誰が読んでも分かるような文章でしかもユーモアも交えつつ、時には怒りや驚きなどの感情を表しながら、でも自分の言いたいことを完璧に伝えきってしまうなんて…(ため息)。この人の頭の中は一体どうなってるのかと驚きでいっぱいです。こんなすごい文章を書く才能と、世界を驚かせるような芸術作品を生み出す才能を併せ持つ人がいるとは。1ページ1ページに、ハッとするような考察が、彼独自の視点で展開されていて、でもどれもひどく説得力のあることばかりなのです。この作品が発表された当時、あの三島由紀夫や川端康成が「これこそが文学だ」と絶賛したそうです。

この作品は太郎が1949年に米軍占領下にあった終戦後の沖縄を訪れた経験を元に、1年かけて書き上げたものです。その頃の那覇の市場や、石垣島、竹富島、久高島の写真も掲載されていますが、石垣島の白保の集落の様子や混沌とした市場の写真など、今とのあまりの違いに驚かされる写真が多いものの、逆に竹富島の町並みの写真などは今の姿を彷彿とさせるものもあってこれもまた不思議な驚きです。

この作品を通して読むと、岡本太郎がいかに「自分のものさし」というものをしっかり持っていたかがよく分かります。庶民の酒である泡盛を飲むのはみっともないと、沖縄の人でさえこぞってビールを好んで飲んでいた時代に一人泡盛を探して盛り場を歩き回り、結局見つけられずに「あんなウマい酒を飲まないなんてみんなどうなっているんだ!」と憤慨する。(泡盛ブームの今では信じられないですが、そういう時代があったのですねぇ…)沖縄民謡を聴かせてもらい、三線の音色が邪魔だと感じて「三線は抜きで歌だけ歌ってもらえないか」と注文し、唱者を戸惑わせる。琉球舞踊の媚びのない潔さに感動し、日本舞踊は不要な飾りだらけで、芸術からただのお座敷芸に成り下がってしまったとバッサリ切り捨ててしまう。沖縄の聖域である御嶽(うたき)のあまりの何も無さ、飾りのなさに感動し、原始こうであったはずの神社は年月を経て装飾過多になり儀礼祭礼の形式にとらわれて本来の姿を見失ってしまったと嘆く。彼が優れていると思うもの、美しいと思うものについての持論は、いつも私たち常人には思いもしない方向から展開されていくので、読んでいると「えっ!?」と呆気にとられることが何度もあるのですが、その内容の面白さと文章の力強さにグイグイ引き込まれていきます。

南部戦跡に行ってまず最初に太郎が感じた感情は怒りでした。
内地ではとかくアメリカの軍政下にある島民生活の悲惨さがクローズアップされる。私も自由と民族的プライドを奪われている彼らの顔がどんなに暗いか、そういうアクチュアリティ(実情)をも観察しなければと思っていたが、しかしこの戦跡を見ていると、はるかに日本人が日本人に対しておかした傲慢無比、愚劣、卑怯、あくどさに対する憤りで、やりきれない。

でも、次に石垣を訪れた彼は「何もないこと」にひどく魅力を感じ始めます。
しかし、琉球列島のどん尻まで来て、いよいよ何もないということを見きわめたとたんに、私の心は一つ大きく跳躍した。かなり以前から、私はこれを確かめる瞬間を待っていたのかもしれない。~中略~(石垣、ハダシ、着のみ着のままの服装、頭にのせるクバ笠)これら全ては美しい。意識された美、美のための美では勿論ない。生活の必要からのギリギリのライン。つまりそれ以上でもなければ以下でもない必然の中で、繰りかえし繰りかえされ、浮び出たものである。

八重山の歌についても詳しく書かれています。そして普通の人は、初めてきけばまず三線の方に耳を奪われるであろう、唄三線を聞いてこう思うのです。
人間の声はすばらしい。~中略~ところが三線の伴奏の、あの装飾性は何だろう。それは快楽であり、媚びであり、官能主義ではないか。~中略~何よりもまずいのは、人間の声が逆に楽器によって規制されてくることだ。楽器に合わせて安易に繰りかえす。三味線音楽の工工四(くんくんし)にしても、またドレミファの十二音階にしても、譜面に書かれて、歌がオタマジャクシを追いかけて行くようになると、叫びの本質、生命の感動は浮いて、甘くならされてしまう。装飾的メロディーになってしまうのだ。

琉球舞踊を見たときにはこんな感想を述べています。この視点は本当にすごいとしかいいようがありません。
たえず鮮やかに空間を切りひらき、なめらかに変転する。~中略~キマることがない。だからこそ鮮やかに、リズミックで、空間的なのだ。日本舞踊など、のべつキマッてばかりいる。いつでも正面に向かっての装飾的効果だ。動きで空間を構成するというよりも、紙芝居のように、絵画的イメージを連続させて行くという感じ。

この本はこんな調子で、最初から最後までどのページを開いても、はずれがないというか、おいしいというか、とにかくすごく読み応えある内容で、次々展開される岡本太郎ワールドに「もうおなかいっぱい」と何度も思ってしまいます(笑) でもまたすぐに次のページを開いて読んでしまう...きっと私、彼の文章がクセになってしまったんですね。多分近いうちに彼の著作を他にも読むと思います。

最後には「神々の島 久高島」というタイトルで、1966年、最初の来訪から7年後に本島東南に浮かぶ久高島で、12年に一度行われる神事「イザイホー」を見た経験がレポートされています。このイザイホー、1978年に行われたのが最後で、1990年、2002年は行われませんでした。イザイホーは島の女性が神霊を受け継ぐための儀式なのですが、久高島に生まれ育った30歳~42歳の女性でなくては神女になることはできません。島の人口の減少と高齢化のために、もう新しく神女になる資格を持つ女性は一人もいなくなってしまったのです。このイザイホーの記述は非常に興味深く、1978年の最後のイザイホーを記録したビデオがあるそうでそれを見たいなと思っています。幸い、万博公園の国立民族博物館(私の大好きな場所です!)にあるみたいなのでこの熱が冷めないうちに行ってみようかなと思っています...。本を読むと、こうやって自分の興味がどんどん枝葉に広がっていくのがうれしくもあり、大変でもあり...(笑)でもこれが読書の醍醐味ですよね。
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by cita_cita | 2006-03-18 02:50 | 沖縄

クジラに会う沖縄旅 その4

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3日目の朝は雨でした。朝方結構強く降っていたので、本当は出発まで島内を散歩しようと思っていたのですが無理でした。座間味港を10時に出航して、那覇に戻ったのが11時。帰りは16時の飛行機なのでまだ時間には余裕があります。ティカと相談した結果、お土産探しも兼ねて国際通りと市場周辺をうろうろすることになりました。国際通りではちんすこう、沖縄限定スナック菓子など定番のお菓子が安く買えます。私は先月来たばかりなので、今回はちんすこうではなく紅芋タルトを買いました。お昼になり、お腹が空いたのでティカの希望でタコライスを。タコライスって、当たり外れがあるというか、無難なんだけど「なんか普通…」っていう店と「おいしい!」って店に分かれるのですが、今回行ったJANGO JANGOというお店のは具も手作り風でおいしかったです。夜は居酒屋さんなのですがお昼は沖縄そばとタコライス、ぜんざい(カキ氷)などがあります。優しそうなおじさん(おじいさん)が赤ワインを使ってミンチを煮込んで作っているそうです。その斜め向かいにある「Tacos-Ya」という店もおいしいらしく人が並んでました。いずれにせよ、タコライスはメニューのたくさんあるお店より、タコス専門店など、それをウリにしてるお店で食べないとがっかりすることがあるので要注意ですね。
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座間味港での見送り。宿の人や島の人、滞在中の旅行者など大勢で船を見送ってくれました。沖縄の港では定番の光景ですがこれをやられるといつもぐっときちゃうんですよね。そして絶対また来るぞ!と思わせられてしまう...これぞ沖縄マジック?
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これが沖縄の伝統船、サバニですね。レースの練習でしょうか。
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JANGO JANGO特製タコライス。スパイシーでおいしかったですよー。

これで満足かと思いきや、今度は私のリクエストで行きたかったお店へ。台湾料理の「青島食堂」というお店です。ちょうど1年前に那覇に来たとき、国際通りからふと脇道に入り、外観に惹かれて偶然入った店だったのですがおいしかったので場所も覚えていたのです。外観だけでなく内装も台湾そのもの。ご主人は台湾人ではなく、比嘉さんという沖縄の方なのですが40歳過ぎてから中国語に興味を持ち、中国に短期語学留学し、そこで覚えた水餃子の味を地元の人に伝えたいと、お店を開かれたそうです。メニューには水餃子の他にもしじみのしょうゆ漬けやトマトの卵炒め、魯肉飯など、台湾ではおなじみのメニューがたくさん並んでいます。台湾料理って、中国料理とはちょっと違うんですけど、日本人にとってはどれもおいしいんですよねー。(と言いつつ私は臭豆腐だけが苦手なんですが・・・)このお店は地元の人にも大人気で、ひっきりなしにお客さんが出入りしていました。とっても居心地が良くって、那覇での残り時間も少ないのに、ついテレビでやってたクイズの答えをご主人や他のお客さんと当て合いっこして長居したりして...うーん、沖縄料理ではないけれど、この店は那覇の行きつけにしたいですねー。
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青島食堂の外観。本当に台湾に迷い込んだみたい...この外観につられて思わず入っちゃうような人だったら、きっと気が合うだろうなあ、私。
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看板料理のジューシーな水餃子。10個で500円。今写真見てても食べたいです...ふう。

残りの時間で牧志の公設市場周辺を散歩。この日は日曜だったので公設市場そのものはお休みだったのですが、周辺のお店は空いていました。迷路のような道をぐるぐると歩き回り、最後に入ったのはその名も「中国茶屋」。ここは以前に見つけて気になっていたものの、入ったことのないお店です。中国茶だけでなく、コーヒーもあるということでちょっと一服することにしました。ここのコーヒーは丁寧なハンドドリップにもかかわらずなんと200円!しかもモカ、キリマンジャロ、ブレンドなど選べるのです。ティカはブレンドをホットで、私はアイスコーヒーをオーダー。アイスコーヒーが出てきてうれしかったのが、氷もコーヒーで作ってあったこと!思わず私が「この氷、コーヒーですか?」と聞くとご主人はにっこり笑って「薄くなるとまずいからねえ」と一言。こういうちょっとしたことで、そのお店のファンになってしまうものなんですよね。このお店も、市場を利用する沖縄のオバアたちの憩いの場になっているようで(そりゃあコーヒー200円、トースト150円だものね、当然か。)またまた居心地抜群。飛行機に間に合うぎりぎりまでまったりしてしまい、お店から県庁前の駅まで超特急で急ぐ羽目になったのでした。(牧志駅が近いのだけどコインロッカーがないので県庁前のパレットくもじに預けていた私達...)
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中国茶屋の入り口。トップの写真は側面から。渋い...渋すぎる...
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200円アイスコーヒーなり。夏、汗をかきながら飲むと最高だろうな。氷が茶色いの、分かります?
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牧志の公設市場を2階のアングルから。この前のベランダみたいなところに上がると、まるで迷路です。異国に来たかはたまたタイムスリップしたかという感じで大好き。
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これは前から気になっていた「ミキ」というドリンク。米を粥状に発酵させてもち米、麦を加え砂糖で甘みをつけたもの。「飲む極上ライス」と言うものすごいコピーが付いています。味は...まあなんというか、甘酸っぱいお粥というか(そのまんま)アルコール抜きの甘酒かな。韓国にGood Riceっていうかなりメジャーな清涼飲料水があるのですが、それをどろっとさせた感じですね。身体にはよさそう...。

今回もなんだかバタバタした最後でしたが、それなりに沖縄時間(しかし最終日は中国時間?)は楽しめたので満足満足。さあ、次に沖縄に行けるのはいつになるかな...。
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by cita_cita | 2006-03-06 23:37 | 沖縄

クジラに会う沖縄旅 その3

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2日目の朝、朝食を済ませてから泊港に向かいました。この港からは、座間味島のほかにも渡嘉敷島、粟国島、久米島、阿嘉島、伊江島、そして北大東島と南大東島に行く船が出ています。だいたい1日2便~3便ぐらい出ているのですが、北大東島と南大東島だけは、週に1,2便しかありません。というのも那覇からも360km離れているため13時間半もかかるのです。台風の時はこの船さえ欠航しますから、食料品をはじめ物資の不足は毎回深刻だろうと思います。沖縄の離島を旅し始めるまでは、こんなこと考えたこともなかったのですが。沖縄を旅行してみて改めて「熱帯性低気圧」「欠航」という言葉に敏感になりました。台風の近づく西表島の民宿の食堂や、石垣島の宿の談話室で何度となく、「今までこんなに真剣に天気予報を見たことはないだろう」と思いましたっけ(笑)沖縄にいると、全国放送の天気予報でいかに沖縄の扱いが小さいかがよく分かるのですね。自分は明日の船がちゃんと出航するのかどうか、それによっては今日泊まらずにこの島を出るかどうか朝から悶々と考えているのに、TV画面の中では「今日はほぼ全国的に秋晴れのいい天気になりそうです」なんて言っていたり…

泊港から高速船「クイーンざまみ」号に乗り1時間ほどで座間味島に到着。この高速船は石垣から波照間や西表に向かう船の何倍も大きく立派で(TVまで付いていた)、住んでいる人が多ければ移動する人も多いのだなと妙に納得しました。座間味につくと、迎えの車に大きな荷物を乗せ、すぐに船に乗り込みます。これからクジラの多いポイントに向かうのです。天気はあまり良くなくて、船も結構揺れましたが昨日はこれどころではない大揺れだったとのこと。でもそんな日にたくさんクジラが見られたりするのだから分からないものです。(実際、前日はクジラが大暴れして、絶好のウォッチング日和だったそう)座間味港を出てから最初の1時間ほどは特に大きな変化はなくただ揺れに身を任せていました。めったに船酔いすることのない私ですが、今日はさすがに長時間の乗船ということで普段飲まない酔い止めを飲んできたのです。でも酔い止めの薬ってものすごく眠くなるんですね。酔わないかわりに、もう眠くて眠くて…自分ではただ目をつむっているつもりなのに、ふと気がつくと眠っていたり…。かなり揺れている状況でもデッキで立って手すりにつかまったままうつらうつらしているのが自分でも信じられませんでした。
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ちょっと雨も降っていたのでこんな格好で。でも、雨が振っていなくても最後には潮をかぶってしまいましたが。

そのとき「(クジラが)いたぞ!」という声で目もぱっちり。スタッフの指差す方向に、ぶわっと霧のようなものが上がっているの見えます。クジラの潮吹き(ブロー)です。これがクジラを見つける目印になるのです。クジラは普段水中に潜っていますが、哺乳類なので10~15分おきぐらいに息つぎをしに海面に上がってきます。このとき潮吹き→少し潜る→潮吹きというのを何回か繰り返して、また深く潜っていくのだそうです。最初にブローを発見したら、しばらく水面近くにいるうちに近づいていけばクジラを間近に見ることができるのです。また、見ものはブリーチやヘッドスラップという動きで、これをやるときクジラは勢い良く跳びあがり、上体を海面に叩きつけるのですごく迫力があります。私たちが船に乗っているときも何度かブリーチをしてくれたのですが、遠くだったのと、スタッフの声につられてから見たので、はっきりとらえることはできませんでした。クジラを見るにも訓練が必要ですね。クジラのポーズには色々意味があるようで、仲間への呼びかけであったり、メスへの求愛行動であったり、他のオスへの威嚇行動であったりします。特にこの時期のザトウクジラは繁殖のために沖縄の海域にやってきているので、メスと一緒にいるときにオス同士が鉢合わせしたりすると、相手を威嚇したり、メスに自分の強さをアピールするべく派手に動いてくれるようです。こうなるとクジラにとっては大変でしょうが、見る側にとっては迫力のあるホエールウォッチングが楽しめるというわけです。
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船がかなり揺れていたこと、天候も悪かったこともありあまりいい写真は撮れなかったのですが、これはちゃんとクジラが写っている数少ない一枚。

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これがクジラのブロー(潮吹き)。 潮が上がるのを見るだけでドキドキします。

また、乗船中には、水中にマイクを入れて、「クジラの歌」を聴かせてもらいました。全ての種類のクジラが歌うわけではないのですが、座間味近辺の海域に来るザトウクジラは歌を歌うクジラとして有名だそうです。歌といっても実際にはもちろん鳴き声なわけですが、メロディのようなものもちゃんとついていて、決まった旋律(4小節ぐらいのフレーズ)になっているので「歌」と呼ばれているのです。歌うのはオスのクジラで、目的はおそらくメスへの求愛ではないかと考えられています。ちゃんと決まったフレーズがあって、流行のフレーズはなんと毎シーズン変わるそうです。リーダー格のクジラがその年のフレーズを歌うと、他のクジラも同じフレーズを歌うのだそうです。実際に聞いてみると、泣いているような、ちょっと物悲しい感じの歌でした。
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クジラを見た直後の一枚。みんなクジラに会えたうれしさでいっぱい。
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これは本日のベストショット!と言いたいところですが、座間味港にあるクジラのモニュメントです。「宝クジラ」といわれるそうです。理由は、宝くじの収益金で作られたからだそう。

4時ぐらいに港に戻ってきて、部屋に入ったのですが私もティカも思いのほかぐったり疲れていていきなりバタンキュー。二人とも、夕食の時間まで1時間ほど意識を失ったように眠っていました。きっと、朝から揺れまくる船の上でずっと立ち通しで踏ん張っていたことでかなり体力を消耗していたのでしょうね。船乗りさんや、漁師さんってすごいなあと変なところで改めて感心してしまったのでした。
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by cita_cita | 2006-03-02 23:48 | 沖縄

クジラに会う沖縄旅 その2

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今回はじめて、ひめゆりの塔を訪れました。これまで沖縄には本島・離島も含めて何度も来ているのに、いままで一度も行ったことがありませんでした。昨年12月に西表で南風見の浜を訪れて以来、次は必ず南部戦跡を周ろうと考えていました。

ひめゆりの塔は、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子学生のうち、戦況が厳しくなったのを機に222名の生徒(と18名の教員)が学校を離れ、陸軍病院の手伝いに動因されて、その結果194人が犠牲になった、その場所のうちのひとつに建てられています。実は私もこれまで深い知識がなく、昨年の夏にひめゆり部隊の生存者の一人である宮良ルリさんの著書「私のひめゆり戦記」(ニライ社)を読んだだけでした。

ひめゆりの塔が建立されているのは、第三外科壕という洞窟の跡です。これは実際に陸軍病院があった南風原(はえばる)という場所からずっと南にあります。それは、地上戦で劣勢になった日本軍が、米軍に攻められ前線とともにどんどん南に移動していき、自然の洞窟を利用して身を潜めていたからなのです。しかも、敗戦が濃厚になったある日、軍から「解散命令」が出ます。これは、「壕を出て、これからは自分の考えで行動せよ」という命令です。つまり敵がそこまでやってきている中で、表に放り出され、見殺しにされたのも同然です。実は、ひめゆり部隊の犠牲者の多く(犠牲者194人のうち128人)は、動員からの数ヶ月ではなく、この日からわずか数日の間に発生しました。ひめゆり部隊といえば集団自決が知られていますが、それ以外にも悲惨な最期を遂げた学生がたくさんいます。動因された当初、彼女らは、きれいな設備の整った病院で兵隊さんの看護ができると思い、自分が学校で使っていた筆箱や硯、教科書や下敷きなどを持って移動した生徒もいたそうです。看護の仕事の合間に勉強ができると思っていたのです。でも、移動した先で彼女たちを待ち受けていたのは、想像を絶するような過酷な毎日でした。手鏡やくしを持参していった女学生もいたそうですが、鏡を見る余裕なんて一日も無かったのです。
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ひめゆりの塔は後ろの記念碑ではなくこの小さな石碑のこと。左に見えるのが第三外科壕跡。

e0066369_110675.jpg平和祈念敷地の入り口でお花を買って、お供えしてから、隣にあるひめゆり平和祈念資料館に入館しました。この資料館で見たことや感じたことは、私の文章力ではここに書き切るのが無理だと思いますので、あえて書きません。でも、行ってよかったと思っています。もともと私は、今後南部方面にいつ来るかわからないので、この機会にひめゆりの塔の他の南部戦跡(平和祈念資料館やアブチラガマなど)も周ろうと思っていたのですが、この資料館にいる間に、「今日は時間を気にせずここだけをしっかり見ておこう、他の場所には次の機会に行こう」と思いました。資料館の中で、生存者の証言のビデオや手記を読みながら大勢の人が泣いていました。みんな一様に重苦しい表情をしていました。でも、みんな、目をそらさず、ひとつひとつ手記に目を通し、ビデオを観ていました。ビデオの部屋と手記の部屋はつながっていて、私とティカは何度もその2つの部屋を行ったり来たりしました。手記を少し見て、胸が苦しくなってビデオの部屋に戻り、ビデオを観ているとまた息苦しくなって涙が出てきます。でもこの部屋からなかなか出られませんでした。全部見ておきたいと思ったのです。結局閉館時間になり、残念ながら全ての手記とビデオを観ることはできませんでしたが。

日本の修学旅行は、もっと沖縄を訪れないといけないなと思いました。ちなみに私の中学の修学旅行は東京と富士山、ディズニーランド、そして高校はスキー合宿でした。スキーでなく、この場所に来たらよかったのになと思います。広島や長崎は修学旅行先としてもメジャーですが、沖縄の修学旅行がもっと増えてもいいのではないでしょうか。なぜなら学校で沖縄戦について習う機会はほとんどなかったからです。沖縄戦が、日本対アメリカという単純な構図だけでなかったことは、ここに来ればよく分かりました。私たちが学校で教えてもらえなかった理由も。実際、私が家に帰って、母とひめゆりの塔を訪れた感想について話したときも、母も「私も学校で習っていないし、ほとんど知識もない」と話していました。母に見せるために資料館の公式ガイドブックを購入しました。このガイドブックには、展示の内容が全て詰まっています。この本を手に入れる方法は現在、直接ひめゆり平和祈念資料館で購入するしかありません。今、帰ってきてから少しずつ読んでいますが、ぜひ、多くの人に読んで欲しい貴重な本だと思います。
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by cita_cita | 2006-02-28 21:58 | 沖縄

クジラに会う沖縄旅 その1

2月24日~26日まで、沖縄の那覇と座間味に行ってきました。
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今回の目的はクジラを見ること。座間味島周辺の慶良間諸島海域は、1月末から3月末ごろにかけて、ホエールウォッチングのメッカとなるのです。2月が誕生日の私、去年も同じ時期に那覇に来たのですが、その時はクジラのことも知らなかったので、レンタカーで本島北部に行き、美ら海水族館を満喫しました。今年は、那覇に1泊、座間味に1泊の日程です。

初日の朝、伊丹空港からの1便で那覇入り。時刻は午前10時過ぎ。前回は空港周辺でレンタカーしたのですが、今年はホテルのあるおもろまちのDFS内で借りることにしました。空港~おもろまちまでのゆいレール(モノレール)の往復チケットも付いてトヨタのヴィッツが1日で3650円(保険込み)なり。沖縄のレンタカーはホントに安いですよねぇ。でもこのDFSがクセモノでした。さっさとホテルにチェックインしてさっさと車借りて出発!と思っていたのですが、一緒に旅行に行ったティカと私の2人はまんまとDFSの罠にはまり、1時間ほども道草を食ってしまいました…(笑) そこを通り過ぎないと、レンタカーで着ないようになってるんですよ。しかもレンタカー受け渡し場所に行ったらここでも順番待ちが。 コスメ好きやブランド好きの人は、先にレンタカー受け渡し場所に行って、待ち時間内に交代で商品チェックすることをお勧めします。でないとなかなかDFSから出られません…。
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たくさん並ぶレンタカー。ヴィッツってカラーバリエーション豊富ですねえ。「どの色になるかねぇ」ってワクワクしてたのになぜか私たちのは銀色。これじゃあ家の車と同じやん。色つきのがよかったのに~!どうやったらカラーのに乗れるのかなあ。予約の時に指定とかって、あり?

e0066369_2029107.jpgさて、なんとか出発して最初に向かったのは糸満方面です。糸満は海人(ウミンチュ)の町、漁師の町として知られています。豪胆で知られる海人達の中でも特に糸満の海人の勇敢さは有名で、昔はサバニという木製の手漕ぎの小さな船で朝鮮半島や東南アジアまで遠征していたそうです。嵐が来ると、サバニをひっくり返してつかまり、波が治まると中の水をかきだしてまた漕ぎ出したとか・・・。もちろん今はサバニでの漁は一般的ではなく、レースで使われたりします。このレースはハーリーと呼ばれていて、沖縄各地でハーリーがありますが、糸満ハーリーはその中でも有名だそう。大きなビルがたくさん建つ那覇を離れて糸満に入ると、のどかな風景が広がり、ドライブも一気に楽しくなりました。糸満の喜屋武(きゃん)という場所に入ったところで、遅めの昼ごはん。お店の名前は「三姉妹食堂」です。その名の通り、地元出身の三姉妹でやっている沖縄家庭料理の店です。ティカは看板メニューの三姉妹定食、私は味噌汁定食を注文。どちらもボリュームたっぷりで美味しくて最高!
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三姉妹定食。煮付け、刺身、ゴーヤの和え物、ゆし豆腐がたっぷり。
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味噌汁定食。味噌汁といっても、沖縄の味噌汁は本土の全然違う!このボリューム、充分おかずになります。具も、しいたけ、豚肉、かまぼこ、ポーク、豆腐、卵、わかめ、ほうれんそうなどなど…。

おなかもいっぱいになり、この次に訪れたのはひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館。ここについては別に詳しく書きたいと思います。ここで2時間ほど滞在したあと、知念岬へ向かう途中にある新原(みーばる)ビーチの近くにある「浜辺の茶屋」というカフェでまったり。この浜辺の茶屋、観光客だけでなく、地元の人たちのデートコースにもなっていて、とくに夕暮れの美しさで人気があるそうです。確かに、目の前はのんびりした、素朴な浜辺の風景が広がっていて、冬だということもあり、とても落ち着いた感じです。食事もできるようですが、晩御飯は那覇で!と決めていたのでカフェオレにしました。
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浜辺の茶屋の店内。この記事のトップ写真も同じカウンターからの眺めです。

カフェを出て、一路那覇を目指します。レンタカーの返却が8時なのでそれまでに帰らなくては…。恐れていた渋滞もそれほどでもなく、なんとか時間内に返却することができました。そしてまたちょっと買い物をしてしまった私たち…(ゲランのクレンジングなど…) ゆいレールで県庁前に移動し、お目当ての人気店「ゆうなんぎい」で遅めの晩御飯。ここはいつも予約でいっぱいなのですが、時間が遅かったのが幸いしてなんとか待たずに入ることができました。私たちが食べたのは、ラフテー、そーめんチャンプル、パパイヤといかの酢の物など。定番ばかりですが、ラフテーの柔らかかったこと!本当はもっと食べたかったのですが、ここはぐっと我慢。というのはこの後、もう一軒行きたい店があったのです。
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ゆうなんぎいのラフテー。味付けが絶妙!お肉の部分より脂身がおいしいなんてすごい。
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こちらはパパイヤと白いかの酢の物。沖縄では青いパパイヤを野菜のようにして、炒め物にもします。東南アジアの国と同じですね。

e0066369_21145421.jpgその店は「くーすBar カラカラ」。 私が以前取り寄せた季刊「カラカラ」の編集者の一人であり、このブログでも紹介した「沖縄チャンプラ亭」の著者でもある仲村清司さんが共同経営されているお店です。その名前からも分かるように、このお店のウリは泡盛の全銘柄が取り揃えてあること。現在大阪にも2店舗(扇町と本町)あるのですが、まだどちらにも行ったことがないのです。泡盛以外にもたくさん美味しそうな料理(創作料理も含めて色々ありました)が揃っていたのですが、2人とも思ったよりお腹がいっぱいになっていて、この店の名物であるイカ墨にぎりのほかにはもずくしか食べられませんでした。残念です…。でも、イカ墨にぎりおいしかったなあ。 実はこの日、その仲村さんもお店にふらりと顔を出していたのですが、別の集まりに出ておられたようで、お話することはできませんでした。でも、カウンターに座った私たちに、泡盛のことをはじめ、色々沖縄のことを教えてくださったのが店長の長嶺さん。私たちがお店にいる間ずっと話相手になってくださいました。最初カウンターかテーブルか尋ねられたのですが、カウンターにしておいて本当によかった!最初は最近お気に入りの「菊の露」を飲んでいたのですが、おすすめの泡盛をお願いすると、「春雨」という銘柄を紹介してくださいました。名前も初めてなら、ボトルも初めてみるものです。那覇空港の近くにある宮里酒造所で作られているそうで、県外にはほとんど流通していないみたいです。実際、その後で那覇市内でも見つけることはなかったです。これ、本当においしかったです。香りが良くてまったりして。それから最後にもう一杯ということで、「瑞泉」の古酒(だったかな…酔っていたのでいまいち自信が…笑)をいただきました。瑞泉といえば泡盛の中ではメジャーな銘柄ですが、「飲んだらびっくりしますよ」と長嶺さんがおっしゃったとおり、これは今まで飲んだのと全然違いました!いつまでもちびりちびりと飲んでいたいような後を引く味。できるならば、楽しい仲間と輪になって、自分で水で割りつつ、夜中までだらだらと話しつつ、いつまでも飲みたいような…。そしてそのまま眠りたいような…。とどこまでも妄想してしまう、そんなお酒です。
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これが春雨。またどこかで見つけたら絶対頼もうと思っています。
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「沖縄チャンプラ亭」の中でも書いてありましたが、「ウチナンチューはおしぼりを4つ折りしてコースターに使う」の現場を発見!実際に見られてちょっと感動しました(笑)

さて、帰ってきてからカラカラのサイトなどを見て分かったのですが、実はこの長嶺さんこそが、季刊カラカラの編集長だったのです!そして「カミングヮー」という著作も出版されていました。沖縄の風水(家相)に関する話だそうです。この本も読んでみたいですね…。
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by cita_cita | 2006-02-28 21:26 | 沖縄

「沖縄チャンプラ亭」 仲村清司

e0066369_23595456.jpg久しぶりの沖縄関連本です。これは読み応えがありました。沖縄本はこれまでに結構読んだのだけど、似たようなものも多くて...。でも、これは面白く読めました。作者は、大阪の此花区生まれのウチナンチュ2世、仲村清司さん。ご両親は沖縄出身で大阪に移住され、その大阪で生まれたにも関わらず、沖縄中毒の奥さんの希望で沖縄に移住して10年という経歴の持ち主。この本を読んで知ったのですが、那覇で「くーすBarカラカラ」という泡盛の豊富な居酒屋さんを経営されています。実は、このくーすBarカラカラは最近心斎橋に大阪店ができていて、気になっている店の一つだったのです。さらに仲村さんは私が前にブログで紹介した「季刊カラカラ」という情報誌の編集者のひとりだったのです。

文章がとてもテンポ良く、しかも分かりやすいので楽しく読めます。内容もバラエティに富んでいて、沖縄の食べ物、墓参りや行事ごとなどの慣習、琉球芸能などの楽しく読める話から、ちょっと考えさせられる内容まで飽きることがありません。お酒に関する話が若干多いのですが、それも作者が無類のお酒好きだからこそ。(だからBarまでやったりして...)面白かったエピソードは、「自分の店のカウンターで、お客さんが沖縄の人か内地の人かは喋らなくてもかなりの高確率で分かる」というもの。それはおしぼりの使い方。沖縄の人は、おしぼりで手や顔を拭いた後、4つに畳んでそれをコースター代わりにグラスの下に敷くというのです。内地の人はこんなことをしないので、すぐに見分けがつくそうな。へえー、これは初めて知った話です。それから「沖縄の人は台風が来る前にソーメンを買い込む」「沖縄の暦では33ヶ月に1回の割合でユンジチ(閏月)があって、このときはお墓を作ったり位牌や仏壇の取替えに最適とされている」など。「沖縄のお墓参りはお墓の前で親族みんなでお弁当を広げてピクニックのようにご飯を食べる。(清明祭といわれます)」という話は良く知られているけれど、ユンジチというのは初めて聞きました。こんな感じで興味深い話がたくさん載っているので、読んでいて結構楽しめました。この作者の最初の著作が、「住まなきゃ分からない沖縄」と改題されて文庫本で出ています。今度はこの本も読んでみようかな...。
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by cita_cita | 2006-02-04 00:15 | 沖縄

島唄と沖縄料理の夜

日曜日の夜、三線教室の仲間と飲み会がありました。
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場所は教室のすぐ近く、JR野田駅の高架下にある「沖縄料理ミツル」です。
雰囲気も値段もすっごく庶民的で、まさに沖縄によくある居酒屋という感じ。飲み物も泡盛以外は缶のまま、料理もダイナミックに山盛りでどんどん出てきます。誰かの家で飲み会やってるって感じでいいですよねー。

今回は、4ヶ月間の初心者クラスを終了して次のクラスに進むにあたり、皆で親睦を深めましょうというものでした。今後、もっともっと上達したら、ボランティアで老人ホームに慰問に行ったり、人前で演奏をすることもあるのでグループ名も決めないといけません。さて、そのグループ名は...まだ演奏デビューしてないので内緒にしときます。というか、デビューの機会はあるのか???

お店には三線や太鼓、三板(さんば)などの楽器が常備してあって、最初は遠慮していた私たちも泡盛が回るにつれて段々調子に乗ってきて、でたらめに音を合わせて盛り上がっていました。すると、途中から入ってきたお客さんが琉球民謡伝統協会の大阪支部の先生だと聞いて、一気に大人しくなる私たち...。お願いして、何曲か沖縄民謡と八重山民謡を演奏してもらいました。お祝いの曲であるかぎやで節、鷲ぬ鳥節、それから私のリクエストで本部ナークニーと谷茶前(たんちゃめ)を演奏してもらいました。
そして、初めて聞く「懐かしき故郷」という歌を歌ってくださいました。これは、大阪で誕生した唄で、故郷を離れた沖縄出身者が遠いふるさとを思う気持ちを歌ったものです。歌詞を渡してもらって、読みながら聞くと故郷を強く思いが伝わってきて、いい歌だなあとすごく好きになりました。私もいつかこんな曲が弾けるようになりたいな。

e0066369_1434769.jpg「懐かしき故郷」
夢に見る沖縄 元姿やしが
音に聞く沖縄 変わてぃ無らん
行ちぶさや 生り島

此処や彼処ぬ心配 彼処や此処ぬ心配
心配ぬ果てぃねさみ 彼処ん此処ん
行ちぶさや 故郷に

平和なてぃ居むぬ 元ぬ如自由に
沖縄行く船に 乗してぃ給り
行ちぶさや 生まり島

何時が自由なやい 親兄弟ん揃てぃ
うち笑い笑い 暮らすくとぅや
いちゃびらや 沖縄かい


夢に見る沖縄は昔と変わらないが
伝え聞く沖縄は変わり果ててしまったそうな
帰りたい、生まれた島へ

こちらは、あちらを心配し、
あちらはこちらを心配する
悩みの種は尽きないものだ
行きたいなあ、故郷に

平和な世になったのだから、元のように自由に
沖縄に行く船に乗せてくださいな
行きたいなあ、生まれた島に

いつになったら自由になって 親兄弟そろって
笑顔で暮らせるのだろう
行きましょう、沖縄に
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by cita_cita | 2006-02-01 21:58 | 沖縄

泡波の夕べ。

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週末、友達の家で「泡波の夕べ」をやりました。
私が泡波と三線を持って行くと、友達はゴーヤチャンプル、ポーク玉子、
クーブイリチーを作ってくれました。沖縄料理屋みたい!
私はまだまだ練習途中の三線を弾き、一緒に「安里屋ゆんた」「涙そうそう」や
「てぃんさぐぬ花」を歌ってご満悦。
外は雪だけど気分は沖縄!
泡波、無くなってまた幻になっちゃった。あーあ(笑)
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by cita_cita | 2006-01-23 21:47 | 沖縄

泡波がやって来た!

タイの旅行記の途中ですが...
さっき家に帰ってきたら私宛のゆうパックが...
なんだろ?送り主を見ると波照間の友人の名前。
もしかして。もしかすると…。
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きゃーっ!やっぱり泡波だー!!!
波照間でもなかなか買えない幻の泡盛です。
あーうれしい!どうしよう…
とりあえず床の間に飾っておくことにします、ハイ。
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by cita_cita | 2006-01-14 23:45 | 沖縄