カテゴリ:読書( 79 )

「ウーウェンさんのきれいな炒めもの」

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図書館で借りて、すごくよかったので最近買った本。本格中華料理とは違う、北京の普通の家庭料理(これは炒め物ばかり)がたくさん載っています。写真もきれいで魅力的なのですが、とにかく材料が少なくて、シンプル。調味料も、多分一般家庭にあるもの以外で揃えるとしたら花椒(中国の山椒)と豆豉(黒大豆に塩を加え発酵させたもの)ぐらいでOKです。花椒も豆鼓もどちらも手ごろ(200円ぐらい)でスーパーで売ってます。私も初めて買ってみたけど、多分八角とかより使いやすいと思う。

この本では炒め物は旬を味わうものというコンセプトで、油っぽく濃い味という炒め物のイメージがガラリと変わります。あと、素材の切り方ひとつひとつとっても、見た目だけの問題ではなく、火の通り具合や食感の変化を考えたアドバイスがしてあります。家庭のコンロの火力で、どうやって火加減調節したらいいか、どのタイミングで味付けすればいいかわかりやすく書いてあります。

材料が少なくてすむ(大体2種類+調味料)のがとにかく手軽。「ピーマンと卵」「きゅうりと鶏肉」「トマトと卵」「アスパラとエリンギ」「豚肉とクレソン」、意外なところでは「なすとなすの漬物」とか!写真もきれいでそそられるメニューばかりです!
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by cita_cita | 2009-08-05 21:41 | 読書

「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」 佐野三治

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海の旅行記を書いている最中にこの本の紹介するのもどうかと思いますが…でも早く書かないと自分の記憶が薄れてしまいそうなので…。

この本は、91年の年末、国際ヨットレースに出場、ヨットが転覆してからライフラフト(救命いかだ)で27日間漂流を続け、たった一人生還した男性による手記です。

日本からグアムまで外洋ヨットレースに参加した「たか」号には7名の乗組員がいたのですが、出航4日目でヨットは転覆、その際に船長1名が死亡、そこから残りの6名はライフラフトに乗り移り、沈み行く船から命からがら脱出します。船のエンジンがストップしての漂流とは違い、船と全ての持ち物を失い、着の身着のまま小さなライフラフトでただ波に身を任せ、救助を待つ日々。しかも、悪い偶然は重なり、手に結んでいたはずのイーパブ(遭難信号無線)を水中に落下、ライフラフトに縛り付けてあるはずの非常用の食料、水、各種備品は脱出時にラフトが傾いた瞬間ほとんど海に流出、唯一の灯りであるペンライトは電池切れ間近。手元に残ったのはカンパンたったの9枚と水1本のみ。救出まで何日かかるかも分からないため1日にショートホープ大のカンパン1枚を6名で分け、小さなケースのフタに水を1センチだけ注ぎ(これが後半には1人20滴になります)、3人で回し飲みするという壮絶な漂流が始まります。

円形のライフラフトは座れるスペースが畳わずか2畳より小さく(表紙の写真参照)、そこに大人の男性6名が縁を背にしてコタツを囲むように座るのですが、それだけ狭いと足を伸ばす余裕もなく、我慢できずに伸ばすと今度は誰かの足の上に乗ることになります。しかも全員の重みが集中している部分はくぼんでくるのでますますそこに全員の足が寄って来るようになり、極限状態の中で、どんどんメンバーのストレスはつのり、疲労も蓄積してきます。さらに日を追うごとに空気は少しずつ抜けていきますが空気を入れるためのふいごも、脱出時に流出させてしまっており、なんとか口で吹き込もうとしますが、口の中はカラカラで力は入らず、逆に抜ける空気のほうが多いのです。

そんな中でも、降った雨水を舐め、軍歌を歌い、同じような海・山の遭難で助かった過去の事例を話しながら互いに「帰ったらあれをしたい、これをしたい」と励まし合いますが、脱水症状が進むとともに少しずつ気力、体力が奪われていきます。ついには幻覚症状が現れる者もあり、脱出時に船に残してきた荷物を探し始めたり、自分の足がラフトの底を突き抜けて海にはまってしまったから抜くのを手伝って欲しいと頼むなど、狭いラフトの中は修羅場の様相を呈してきます。そんなときに捜索機が現れ、上空で引き返すのを見て、一同は「助かった!」と喜び合い、残りの水も飲んでしまいます。

ところがいつまで経っても助けは来ず、発見されたわけではなかったのだと悟った彼らは大きく落胆し、生きる気力を失ってしまいます。この翌日1人が死亡、さらにその翌日には3人が立て続けに死亡。その度に仲間の亡骸を海に送り、残った2人だけを乗せたいかだは周りに何も見えない海を漂い続けます。

そんな中で、なんとか生きた鳥を捕まえて、首を締め、鳥の吐き出したイカとトビウオを食べ、くちばしでお腹を裂いてレバーや肉を食べ、「一日でも生き延びれば、助かる確率がそれだけ大きくなるんだから、がんばろう」を励ましあい、二人は必死に生き延びようとします。

そしてついに恐れていた日がやってきます。「絶対生きていてくれよな、一人になったら暖めあうことも、話もできないんだからな」と励ましあった2人でしたが、ある日、相方の高瀬が亡くなり、ついにラフトの中は佐野さん1人だけとなります。ここからさらに10日以上、一人きりの長い長い時間が、死との闘いがはじまります。以下は本書から抜粋です。

「しばらくは海に浮いている高瀬をじっと見ていた。段々離れていく波の合間合間に消えて見えなくなってしまった。この広い海にはなればなれになってしまったこと、冷たい海に送ってしまったことなど、多くの感情が込み上げてきた。高瀬を見送り、ラフトの中は完全に自分ひとりになった。(中略)今まで起こった事実、特に(海上保安庁の)YS11機を確かに見たんだという事実を、なんとか伝えたいという気持ちが強くあった。同時に、次は待ったなしで、いよいよ自分が死ぬ番だとも思った。」

そして2匹目の鳥を捕まえたとき…「ラフトの中に自分以外の生き物がいるのは久しぶりのことであった。すぐには殺さず、しばらく鳥を生かしてやることにした。(中略)一匹目を高瀬と食べたときはうまいと感じたが、二匹目を一人で食べても、少しもうまくなかった。」

「それまで、私は晴れた日中はいつも、入り口のチャックを開けて、外を眺めていたものだが、一人になってからは、ラフトの入り口をたいてい閉め切っていた。開けてみて、周りが海ばかりであるのに耐えられなかった。」

「高瀬が死んでからずっと、私はYS11機を見ていたにも関わらず、助けが無かったことがとても悔しく、何とかして誰かに伝えたいと思っていた。自分が死ぬことには何の躊躇もなかったが、このまま事実が伝えられず自分も死んでいってしまうのでは、死んでも死にきれない。」

情けない話なんですが…実は私、この本を読み始めてからしばらくの間、夜、灯りを消して眠れなくなってしまいました。この本の描写があまりにも克明で、迫りくる恐怖感がリアルに伝わりすぎたのか、特に遭難してからの部分は読んでいてもすごく息苦しくて、ある晩、夜中に目が覚めてしまいました。その時、なんとなく真っ暗な部屋の中、暗い天井を見ながら本の内容を反すうしていると、なぜか急に自分が寝ているベッドが海の上にプカプカ漂っているイメージが浮かんでしまったのです。その途端、本の中で描かれていた真っ暗な海で一人浮かんでいる孤独感や、自分の身を預けている薄いゴムの層を隔てた下は深い深い海である恐怖や、自分がどこにいるかも分からず誰も自分がここにいることを知らないという不安が急激に現実味を帯びて迫ってきて…ゾッとして、慌ててテレビをつけて、やっと落ち着きました。その次の日に本を読み終わりましたが、その時は、最後まで読むのをやめられなかったのです…というより、途中でやめて眠ることが怖くて、とにかく、早く救出されて漂流を終わりにしたい、その場面を確認したいという気持ちだったと思います。読み終わってから1週間ほど経つのですが、まだなんとなく、小さく音楽を流しながら眠っています。夜中に目が覚めるとCDが終わっていて、そんなとき外の道路を通る車の音が聞こえてくるとほっとします。普通はうるさく感じるはずの隣の住人が立てる音でさえ、「あー人がいるんだよな」って思ったり。どうやら、この本、私には思った以上に相当衝撃が強かったようです。
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by cita_cita | 2009-04-23 00:02 | 読書

「必死のパッチ」 桂雀々

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「必死のパッチ」…大阪弁で「必死のさらに上」、「必死」と「死に物狂い」を足して、さらに「がむしゃら」を掛けたようなもの。私も子供の頃、よく聞いた言葉だけど、そういえば久しぶりに耳にしたかも。

ホームレス中学生のヒットもあって、芸人さん以外の芸能人も子供のころの苦労話や貧乏話をオープンに話せる雰囲気になってきましたよね。メッセンジャーの黒田とか、次長課長の河本とか、大沢あかねや上原美優(種子島の子)とか…。みんなそれぞれびっくりするようなエピソードがあるのですが、最近は結構そういう話にも慣れてきたと思っていました…この本を読むまでは。

読んでる最中の私の感想…「これはあかんやろ、これは!」。形容詞一言で表現するならば「えげつない」。そう、ひど過ぎるという言葉では足りないぐらいのすごい経験です…さすがに、麒麟の田村が「これやったら、ホームレスのほうがまだマシ」というぐらいの。借金まみれのオトンに愛想を尽かしたオカンは小学生の雀々少年を置いて出て行き、オトンの欠陥人間ぶりにはますます拍車がかかり、そしてついにある日「オトンが俺を刺そうとした!」。

「も、もうアカン…!もうアカンねん!ワシも死ぬから、オ、オマエも死んでくれ!」
「オ、オマエ一人で生きていかれへんやろ?せやから、ワシと一緒に…」
「イ、イヤや!イヤや!ボク死にたないっ!
  ボクは生きたいねん!生きるねん!何があっても死にたくないっ!」

ね、えげつないでしょ。確かにこんな親だったら一人でホームレスのほうがマシかも…。そして実際、オトンはこの翌日いなくなり、雀々少年は一人残された市営住宅で中学3年間を乗り切ります。この市営住宅が大阪の我孫子なんですが、私の大学時代の最初の下宿がこの市営住宅の近くだったもんで周りの風景とか思い出しました…。

考えてみれば、ホント救いのない話なんですが、それを笑いをまじえながらテンポよく書き上げた雀々さんがすばらしい。でもやっぱり「親に反抗したり甘えたりできる友達をうらやましく思っていた」なんて読むとホロリときたり。で、最後にはやっぱり元気が出ます。この話は枝雀師匠との出会いで終わるのですが、そこがまたいいんです。

これまで何度も雀々さんの落語は見てきましたが、次の高座ではちょっと見方が変わりそうです。最近雀々さんが子供時代のエピソードを語っている記事を見つけたので興味のある方はこちらをどうぞ。で、さらに知りたいと思ったら本を読んでみて下さい!
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by cita_cita | 2009-04-14 20:44 | 読書

「永訣の朝」 宮沢賢治

おくりびとの構想のベースとなった「納棺夫日記」を読んでいます。その中で、宮沢賢治のこの詩が出てきました。むかし、国語の教科書で読んで衝撃を受けたのを思い出しました。

最愛の妹、とし子との別れの朝の情景を描いた詩です。

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ) 

*あめゆき(みぞれ)を取ってきてください の意味

うすあかくいっさう陰惨〔いんさん〕な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い蓴菜〔じゅんさい〕のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀〔たうわん〕に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

蒼鉛〔さうえん〕いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系〔にさうけい〕をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう

わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
   (Ora Orade Shitori egumo)

*私は私で、ひとりで逝きます の意味

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)

*また生まれてくるとしても今度はこんなに自分のことばかりで
苦しまないように生まれてきます の意味

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


教科書で読んだときは、暗い空からみぞれが落ちてくる様子や、その中にお椀を持って「曲がった鉄砲玉のように」飛び出した場面が目に浮かび、賢治の気持ちになって読んだものでしたが、今改めて読むと、「うまれでくるたて…」の部分が非常に印象的でした。

女学校始まって以来の才女といわれ、大学在学中に書いた手紙では当時に女性は珍しいほどの自立した考えを記しています。
「私は人の真似はせず、出来る丈け大きい強い正しい者になりたいと思ひます。
御父様や兄様方のなさる事に何かお役に立つやうに、
そして生まれた甲斐の一番あるやうにもとめて行きたいと存じて居ります。」


大学卒業後、母校の教師になったのもつかの間、わずか1年後に結核に倒れ闘病の末、24歳にして命を落としたとし子。苦しい苦しい闘病の末、最期のときでさえ、結核になった自分の境遇を恨むどころか「自分のことばかりで苦しむのではなく、人のためになれるように」との言葉を残すような、そんなけなげな妹を失った賢治の喪失感はどれほど大きなものだったのでしょう。賢治は、とし子の臨終を看取った後、押入れに頭から入り、声をあげて泣き続けたそうです。

とし子の臨終に際し、賢治が書いた詩があと2つあり、全部で3部作となっています。あとの2つ、「松の針」「無声慟哭」についてもこれから読んでみたいと思います。
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by cita_cita | 2009-03-03 22:05 | 読書

「ホノカアボーイ」 吉田 玲雄

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友達のすすめもあり、ハワイ旅行へのテンションを上げるべく読んでおります。3月14日には映画も公開されます。

文章そのものは、まるで友達の日記を読ませてもらっているみたいで最初ちょっと読みにくいと感じたのですが(そう考えるとこのブログもそうですよね)、逆に言うと上手に書かれた物語よりリアルに感じられるってことかな。ただ地名とかお店の名前が出てきても、位置関係とかがつかみにくかったので、図書館でハワイ島のガイドブックを借りてきて照らし合わせながら読むようにしたら急に景色に色がついたかのように感じられ、面白くなってきた!まだ行ってもいない場所なのに、まるでそこを旅しているような気分で読みすすめています。旅をするには時間がない、あるいはお金がないとお嘆きの皆さん、この読み方、絶対おススメです。

物語は、著者である吉田玲雄さんの実際の体験がベースになってるようです。サンフランシスコの大学を卒業した主人公は、父親とふらりと訪れたハワイ島のホノカアという小さな町の映画館が気に入り、ひょんなことからその映画館で映写技師として数ヶ月働くことになります。これはその小さな町を舞台に彼が出会った人、見た景色、食べたものの記録のような作品です。実在するのかしないのか分からないお店の名前やホテルの名前がたくさん出てきて、ひとつひとつ調べてみたくなってきました。

私がハワイに行くときは、コナをベースに滞在し、1泊だけコナとは反対側のヒロに泊まります。そこからコナに戻るときに、ホノカアをはじめ、この作品の舞台になっている場所を通って帰ろうと思っています。本当なら、この主人公のようにのんびりと誰も居ない海に泳ぎにいったり、雨の日に窓から外を眺めて半日すごしたり、そんな時間を過ごせれば理想的なんですが、時間の関係上難しそうです。そういう過ごし方をしたければ、やはり何度も繰り返し同じ場所に訪れて「自分の場所」を作っていかなければいけないのでしょうね。私にとってはバリと沖縄がそうですが、その反面、行ったことのない場所への憧れもあり…(BGMはもちろん”遠くへ行きたい”♪かな?)旅への情熱は尽きることがありませんね。
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by cita_cita | 2009-03-01 20:55 | 読書

「日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」 森下典子

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日日是好日。私の好きなこの言葉を初めて知ったのは、高校生の頃学校帰りによく散歩をしていた妙心寺でこの言葉を見たときでした。その後、祖父の墓がある東福寺に墓参りに行くと、またこの言葉と出会いました。臨済宗は禅宗ですから、この有名な禅語が掲げてあるのは自然なことだったのですね。

数年前、久しぶりに妙心寺に行ったとき、一枚のしおりをいただきました。そこにもまた「日日是好日」の文字があり、こんな説明が書かれていました。
「私たちの人生は雨の日もあり、風の日もあり、晴れの日もあります。しかし、雨の日は雨の日を楽しみ、風の日には風の日を楽しみ、晴れの日は晴れの日を楽しむ。すなわち楽しむべきところはそれを楽しみ、楽しみ無きところもまた無きところを楽しむ、これを日々是れ好日というわけです。どんな苦しい境界に置かれても、これ好日、結構なことですと、カラ元気でなく心から味わえるようにならなければなりません。」
私はこのしおりを何度も読み、そして会社で毎朝輪読する本の間にはさみました。

先日、森下典子さんの「いとしいたべもの」を読んだことがきっかけで、彼女もまた『日日是好日』という本を出版していると知りました。調べてみると、お茶についての本だとか。お茶を習ったことの無い私にも分かるかなと思いましたが、「いとしいたべもの」を読んで彼女の文章が心地よかったので、図書館で借りてみました。

この本には、お茶についての難しい話はどこにも書かれていませんでした。一人の不器用な女の子が、仲のいい友達に誘われて家の近所で通い始めたお茶のお稽古。その中で決まりごとの多さに面食らい、その作法の意味を尋ねると「今は意味なんて気にしなくてもいいのよ」と言われて困惑し、季節ごとのお茶菓子の美しさに感動し、お花屋さんでは売っていないさまざまな花で世界が溢れていることに気づいていく…。そんな過程が、まるで自分も一緒にお茶のお稽古をしているように生き生きと伝わってきます。20歳の女子大生だった作者は、晴れの日も雨の日も、毎週先生の家に通い続け、25年間の月日が流れました。25年の間に彼女には色々なできごとが起こり、出会いや別れも経験し、その中でいつもお茶がそばにあり、お茶に対する考えもさまざまに変化しました。

お茶を習っていると、あるとき、はっとするような瞬間が訪れるのだそうです。たとえば、それまで空から降ってくる水でしかなかった雨が、ある日、夕立の前に生ぬるい匂いを持つまったく違ったものに感じて愕然とする。そんな「気づき」の瞬間が「定額預金の満期のように」時々やってきたのだそうです。それはおそらく、自分の中では口座にお金が蓄積されていくように、あるいはコップに水滴が少しずつたまっていくように徐々に起こっている変化なのですが、自分がそれに気づくのはコップから水が溢れ出したその瞬間なのでしょう。

こんな「すごい」文化が日本にあること、それを戦国時代の昔から長年大切に育て、積み重ねてきた多くの人たちの存在を改めて実感しました。私の知らないこんな世界があったのか、お茶と接している人たちの前にはこんな喜びを味わう無限の可能性が広がっているのかと思うと、心底うらやましくも思いました。私には果たしてそんな喜びを味わうことができるのでしょうか。私が今後の人生の中でお茶を習う機会があるかどうか、それはわかりません。でも自分にとっては、それはヨガを通じて実現することができるのではないかなと、今感じています。不思議な話ですが、この本を読んでいる最中、頭の中でヨガがお茶にオーバーラップする瞬間が何度もあったからです。たとえば「”自分は何も知らない”ということを知る」「”今”に気持ちを集中すること」「自分の内側に耳をすますこと」などの言葉が出てきます。まさに「ヨガ」的な考え方だと思うのですが、どうでしょうか。

この本の「まえがき」の中に、とても好きな文章があります。
「前は、季節には『暑い季節』と『寒い季節』の二種類しかなかった。それがどんどん細かくなっていった。春は、最初にぼけが咲き、梅、桃、それから桜が咲いた。葉桜になったころ、藤の房が香り、満開のつつじが終わると、空気がむっとし始め、梅雨のはしりの雨が降る。梅の実がふくらんで、水辺で菖蒲が咲き、あじさいが咲いて、くちなしが甘く匂う。あじさいが終わると、梅雨も上がって、「さくらんぼ」や「桃の実」が出回る。季節は折り重なるようにやってきて、空白というものがなかった。」

何年も何年も、晴れの日も雨の日も、そして晴れやかな気分の時も、ずぶぬれになったような気分の時も、ただひたすらに同じ道を通い続ける。その経験はまるで「人生の定点観測」をしているのと似ているのかもしれません。
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by cita_cita | 2008-03-11 21:10 | 読書

「いとしいたべもの」 森下典子

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図書館で「今日返ってきた本」の書架にあったのをなにげなく借りてきたのですが、イラスト、文章ともにとっても楽しめました。

ジャンクなものからお母さんの手作りの料理まで、食べ物にまつわる自分の記憶と思い入れを書き連ねたエッセイです。この手のエッセイはわりとよくあるものですが、森下さんの文章はとにかく楽しい、そして食べ物への「深すぎるほどの」愛情があふれています。イラストもご自分で描いておられるそうですが、とっても味のあるイラストで、桃屋の「ごはんですよ!」とか、「サッポロ一番みそラーメン」のイラストとか、やたらリアルで笑ってしまいます。

それにしてもこの方は感情が豊か。そしてそれを文章にする表現力が豊か。あまりにも表現力豊かなもので、これを夜中に読んでると本当にやばい。もうおなかは減ってないはずなのに、「どん兵衛」やら「オムライス」やら「舟和の芋ようかん」やら、食べたくてしかたなくなる…。罪な本です。

もともとは、「カジワラ」というあんこ製造機のメーカーさんの依頼で、同社のホームページに月1回、食べ物についての文章を連載していたことからこの本は生まれたそう。もちろん、カジワラのホームページからリンクしている「おいしさ さ・え・ら」ではバックナンバーを読むことができます。「そんなに食欲をそそられる文章って、どんなんだ?」と思われる方は、ぜひこちらをチェック!特に私のおすすめは、「ミスドのフレンチクルーラー」と「たねやの本生水羊羹」、それから「崎陽軒のシウマイ弁当」です。
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by cita_cita | 2008-02-26 23:36 | 読書

「まぼろしハワイ」 よしもとばなな

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それは2月の初めのこと。親友なおっちが旅したハワイ島に一緒に行きたかったのに、仕事の都合でどうしても休みが取れなくて残念で、でも頭からハワイの文字が消えなくて、それで手に取った久しぶりのばなな本でした。日本でフラダンスを教える第一人者、サンディーさんにフラダンスを習っているばななさんがハワイへの思いをこめて5年かけてじっくり書き上げた一冊です。オアフだけでなく、ハワイ島も出てきます。

ばななさんがかつて、バリについて書いた「マリカのソファー」を読むと、いつでもバリの空気がムクムクと胸の底から湧き上がってくるように、この本にもいっぱいハワイの空気があふれています。ばななさんの文章はとっても感覚的な表現が多いので、他の作家の作品と違い、なかなかストーリーを説明するのが難しいんですよね。たとえ主人公の置かれている家庭環境が非常に特殊であったり、出会う人がものすごーく変わっていたりしても、信じられないような偶然が起こったりしても、時は流れ、物語全体は淡々と語られていくというか。今回の話も、ひとことで言うと「家族となんらかの形で悲しい別れを経験し、寂しさを抱えた人たちがハワイと接することで次第に癒されていく話」というところでしょうか。 わー、こう書いてしまうとなんだか「え、それだけ?」と思われてしまいそうです。やっぱり自分で読んで、ばななさんの文章を通して流れているあの独特の空気感を味わってもらいたいなと思います。

ハワイにまつわるいくつかの話が集まって一冊になってるんですが、その中でとてもとても印象的な文章があったのでご紹介したいと思います。

「このまま居残って、なんだかよくわからない毎日を送りたい。旅に出るといつだってそう思う。でも日常になるといつのまにかルーチンができてくる。人間はそれが大好きだから。朝飲むのはいつも同じところで同じもの、起きる時刻も着る服も、買い物をするお店もだんだんだんだんしぼりこまれてくる。そして旅は日常になり、自分はどんどん自分になっていく、ただそれだけだ。どこにいようがそうなのだ。だからこそ私はこういう意外な一日が好きだ。」

なんだか激しく頷いてしまった私でした…。誰もが同感できるこういう感覚を、きちんと自分の言葉で表現できるばななさんって、やっぱりすごい。
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by cita_cita | 2008-02-25 23:21 | 読書

「偽装狂時代」 爆笑問題

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私は、基本的に関西出身の芸人のほうがひいきコンビが多いのだけど、爆笑問題は好き。すごいタイトルのこの本は「爆笑問題の日本原論シリーズ」第5弾、2003年末から2005年末ぐらいまでの時事ネタについて、太田と田中が例の調子で面白おかしく語り、時にはバッサリと斬ってくれます。10年前のテーマだと、あまりにも時間が経ちすぎていて「あぁ、そういやあった、こんなこと!」ともはや「なつかしのあのニュース」で終わってしまうんだけど、2、3年ぐらい前のことだと、まだまだ鮮明に思い出せることもあるし、さらにその事件が今や新たな方向に展開してちょうど今の世の中に影響を与えていたりするので、今読むと違った視点からの発見があって面白い。

ちなみにここで取り扱われてるネタは、イラク自衛隊派遣から、牛丼の販売休止、年金未納問題、ライブドア、近鉄・オリックス合併問題、イラク人質の自己責任論争、テレビ局の視聴率操作、謎のピアノマン、耐震強度偽装…。皆さんがこれ見ても「あー!」と思うテーマあるんじゃないですか?「牛丼最後の日」に目前で売り切れになって吉野家で暴れたオッサンとか、楽天の三木谷社長とホリエモン(このころはまだ不正は発覚してなかった)がプロ野球に経営参画しようとしたこととか、その球界が大揺れに揺れて1リーグ制導入なんていって、ヤクルトの古田が選手代表で交渉に立ち上がって男を上げたこととか、姉歯氏のカツラ疑惑とか…。

今新展開を迎えているといえばなんといっても年金未納問題かな。当時CMに出てた江角マキコを証人喚問しろという輩がいたりしたけど、調べてみたら菅さんも福田さんも未納だったんよね。菅さんは自民党で払ってなかった麻生さんたちのことを「未納3兄弟!」なんていって非難したのに実はなんと自分も未納だったことが判明して、お遍路の旅に出たんだっけ…。あのときはその後総裁選で阿部さんと麻生さんが争うことになるとか、阿部さんがいきなり辞めて福田さんが総理になるなんてそんな展開は夢にも思わなかったなあ。しかも年金未納問題だったはずが、年金記録漏れ問題に展開してるし。

この本のタイトル、「偽装狂時代」だって、2006年に出版されたときに太田が考えたものなんだけど、さらに偽装だらけの2007年が終わって、今見るとすごいタイトル。やっぱり太田、すごいわ。あとがき読んでさらに納得。(あとがきには太田がどういう思いで爆笑問題のネタを作っているのか、これからどう時代や世間と向き合っていくつもりなのかが書かれていて、読んでちょっと得した気分。)

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どーでもいいんだけど、今、万有製薬の「あなた、私のバウムクーヘン食べたでしょっ!」が気になって仕方ない…。誰なんだっつーの。
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by cita_cita | 2008-01-29 00:36 | 読書

「プラネットアース・メイキング―究極の映像への挑戦」 デヴィッド・ニコルソン

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映画earthで登場した映像が数多く含まれている英BBCとNHK共同制作の「プラネットアース」シリーズ。2006年から2007年にかけて、NHKスペシャルとして総合テレビで放送されました。そのプラネットアースの制作段階で40人のカメラマン、200か所ののべ2000日を超える撮影中に起こった、さまざまな現場エピソードをカメラマンやスタッフのコメントを中心にまとめた本です。

earthを見ていて、「こんな場面どうやって撮影したんだろう」とか「スタッフはこのときどこに居るんだろう」とか不思議に思うことがたくさんあったのですが、この本を読むとスタッフがどれほど苦労してあの奇跡的な映像を撮影したのか分かります。極寒の南極で1年間もの間滞在し、コウテイペンギンの姿を撮影し続けた2人のスタッフ(気温-60℃、風速毎時100キロ以上の猛吹雪の中卵を抱くオスの姿を撮影したことも)、ヒマラヤ上空8500mで、ヘリコプターの扉を開けっ放しにして酸素マスクをしながら撮影を行ったスタッフ、ホッキョクグマの撮影の際、スノーモービルの持込が禁止されたため毎日、撮影地まで重い機材を担いで往復10キロ近くも歩かなければならなかったスタッフ。彼らの忍耐と努力の結晶が詰まった映像、本来ならこれだけの苦労をしなければ見られないはずの映像を暖房の効いた映画館でぬくぬく椅子に座りながら見ることができる、そのことを改めてありがたいと思いました。またもう一度映画見に行きたくなってしまいました。

撮影秘話と名場面集はHNKのウェブサイトでも見ることができます。見てみたい!という方はこちらをクリック。
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by cita_cita | 2008-01-28 23:26 | 読書