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「藍の空、雪の島」 謝孝浩

「藍の空、雪の島」 謝孝浩_e0066369_2132181.jpgこの本は、事実をもとにした、物語といってもいいかもしれません。以前紹介した「スピティの谷へ」の著者である謝孝浩さんが日本で、それもたまたま乗った電車の中で知り合ったワンディという少年をモデルにした作品です。2002年に出版した「カンボジアからやってきたワンディ」は、このワンディをモデルに描いたドキュメンタリー、ノンフィクションの作品でした。この「藍の空、雪の島」という本は、ワンディの体験を、ノンフィクションという制限に縛られず、想像の部分も交えて書かれた小説なのです。

ワンディはカンボジア生まれ。8歳のあの日まではプノンペンで両親や兄弟と幸せに暮らしていました。あの日、黒い服の人達がやってきて、プノンペンは危険だから数日間だけ町を出て村に行くように言われます。でも、ワンディ一家はプノンペンに戻れませんでした。最初は強そうでかっこよく見えた黒い服の人達はポルポト派の兵士たちだったのです。黒服は「町に住んでいた人はみんな悪い人たちで、村に住んでいい人になる必要がある」といい、ワンディたちは放浪生活を余儀なくされ、炎天下の乾季のカンボジアの乾ききってひび割れた道を歩き続け、のどが渇くと多くの人が群がる水溜りで水を飲みました。そんな日々の中で、ワンディの幼い弟はかわいいプクプクのほっぺたの面影もなくなり、衰弱して死んでしまいます。そしてやっとある村にたどり着いたワンディたちにポルポトは過酷な強制労働を命令します。

強制労働と極貧生活だけでなく、ポルポトの暴力におびえながら暮らす毎日。少しでも逆らったり、働きが悪かったりすると気を失うまで棒で殴られる恐怖。そんな中でもワンディは自分を助けてくれる友達ラドゥーを見つけ、過酷な状況の中でたくましく生きていきます。そして、この村ではある日突然、人が消えることも珍しくありませんでした。その人達が戻ってくることもなく、どこに行ったのかも誰も知りません。ワンディの長屋の隣に住んでいたおじさんも、ケガをしていた村人を手当てしたことが原因で、「お前はプノンペンじゃ炭売りだったというが、本当は医者なんだろう」と怒鳴り込んできたポルポトに半殺しにされ、そのままどこかに連れ去られてしまったのです。そんなある日、ワンディたち子供の中から「優秀な者は学校に行かせてやる」と選ばれた数名がワンディの村を去ります。その中にワンディの親友ラドゥーも混じっていました。あとで分かった話では、彼らは学校ではなく、黒服の仲間になるための特訓を受けさせられたのだワンディは風の噂に聞きます。

そんなどん底の状況の中、あるとき緑の服を着た人達がやってきて、黒服たちを追い払い、ワンディを救ってくれました。緑の服の人達は、ベトナムから来た兵隊だとのことでした。3年半ぶりにプノンペンに帰ったワンディ一家は、もはやそこには自分たちが生活していける場は何もなくなっていることに気付きます。ここにいれば、またいつ黒服がやってくるかもしれないと考え、ワンディの父は緑の服の人達の国、ベトナムに逃げることを決めます。逃亡を手伝ってくれるガイドが数百メートルほど進んでは、安全を確認し、懐中電灯を点滅させます。ワンディ一家はそれを見てガイドに追いつきます。そんなことを気が変になるほど繰り返し、ついにベトナムにたどり着きます。言葉の分からないベトナムでの生活、そしていつしかワンディたちは夢を求めて「イープン」(日本)を目指すように…お父さんはこういいます。「ワンディ、イープンはいいところだぞ。食べ物も着るものもいっぱいで、誰も飢えたりしていないんだ。争いも無く、住んでいる人たちも優しい人ばかりだぞ」。でも、イープンに行くためには、あのプノンペンを超え、バンコクからイープンを目指さなくてはいけません。その最中にも家族が離ればなれになったりようやく再会できて…そしてタイでも難民キャンプでの生活が待っていました。ワンディには次から次へと試練が待ち受けています。でも文章は淡々と続いていくので、悲惨さは少ないかもしれません。そういう意味では、他のカンボジア難民に関する本を読むのが苦手な人にもとっつきやすいかも。

そして、ワンディ一家が最後にたどり着いた、夢にまでみた国、イープン。果たして、「雪の島」イープンではワンディが夢見たような暮らしが待っていたのでしょうか…?
by cita_cita | 2006-10-23 23:22 | 読書
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