「ナミィと唄えば」

e0066369_2336959.jpgとっても元気をもらえる映画を観てきました。
「ナミィと唄えば」は、映画だけど、物語というよりドキュメンタリー。主人公のナミィおばあこと新城浪さんは85歳になる現役の三線弾き。沖縄最後の現役お座敷芸者とも「人間ジュークボックス」とも言われている元気いっぱいのおばあです。

ナミィおばあは石垣島の新川出身。9歳で那覇の辻(花街)のお座敷に250円で身売りされ、15歳で親戚に買い戻されて家族の移住したサイパンへ。その後も台湾、宮古、与那国、那覇、石垣と渡り歩きながらも常に唄三線を人に聞かせ続けてきたのです。そのおばあが作家の姜信子さん(この映画の原作者でもあります)と出会ったことがきっかけでこれまでの人生を振り返る旅に出ます。与那国、台湾、那覇、東京...。おばあの観客は人間だけではなく、時には御嶽(うたき)の神様であったり、無念のまま死んでいった人たちの霊魂であったり、自然そのものであったりします。古典の三線弾きの名手と呼ばれる人たちと比べ、お座敷の三線を低く見るような風潮もあったそうですが、そんなことはどうでもいいじゃないかと感じるくらい、おばあの唄は本当に心に響く歌です。

劇中でおばあが歌う歌は...
ナミイのデンサー節/酒は涙か溜息か/星影ワルツ/鷲ぬ鳥節/ラッパ節/酋長の娘/ストトン節/南洋帰り/十九の春/老後の花/与那国のマヤ小/桑港のチャイナタウン/トゥバラーマ/アリラン/湯の町エレジー/サヨンの鐘/安里屋ユンタ/日本陸軍/案山子/東京音頭/二人は若い

この中で、鷲ぬ鳥節を2回歌ってくれるのですが、ちょうど今練習中の曲なので思わず私も口パクで一緒に歌ってしまいました...。2回目のが特によかったな。

おばあはまだ小さい頃、お座敷が嫌で、稽古が辛くて、辻の料亭を抜け出して近くにある波の上宮という神社の境内の崖っぷち(波の上宮は海沿いの断崖の上にあるのです)で横になり、そのまま眠ったことがあるのだそうです。このまま眠っているうちに落ちて死んでしまえばいいと思いながら...。すると夜中に自分を呼ぶ声が耳元に聞こえて、誰かが優しく足をつかんで、崖と反対にひっぱっていき、「ナミィ、生きろよ~。お前の唄でみんなを喜ばせるんだぞ。」とはっきり言ってくれたのだそうです。ナミィはそれを神様の声だと信じていて、70年以上たって初めて波の上宮にお礼参りに行きます。親友となった姜信子さんと自分の孫息子を伴って。ナミィがここで神様にお礼を言いながら祈るシーンは、思わず泣けてしまいます。

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全体的にはとっても楽しく、底抜けに明るいナミィおばあのキャラクターが前面に出た陽気な映画なのですが、ところどころ泣けて仕方ない場面が出てきます。ここで泣けるかどうかは、それを見た人によって全然違うと思う。だって、おばあのとっても個人的な経験から語られることばかりだからぴんとこない人もいるかもしれない...。でも私にとっては、一人の人間の唄や人生がこんなにも他人を感動させることがあるのだなーと、人間ってすごいなーと感激し通しでした。

他にも与那国島のクブラバリという場所で死んでいった女達に向かって歌をささげるシーン、昔の芸者仲間と50年ぶりに再会して一緒に演奏をするシーン、台湾でハンセン病患者の療養所を訪問し、一緒に唄を歌うシーン...どれもナミィおばあの唄を聴いているだけで、おばあが唄に自分の思いを全てこめて歌っていることが感じられるし、そんな唄を歌えるおばあを本当に素敵だと思います。おばあの唄にはおばあが今まで生きてきた中で経験してきた色んなものがこもっています。おばあが芸者仲間の上地シゲさんと一緒に演奏する「鷲ぬ鳥節」は、もう高齢で4年も琴に触っていないシゲさんが一生懸命ちんだみ(調弦)を合わせるのですが、結局うまく合わず、それでもなんとかナミィおばあの歌う唄三線に合わせてついていこうとします。ナミィおばあも音が外れているのは分かっているけれど、一生懸命歌います。この場面を見て、今習っているこの歌をもっともっと大切に歌おうと決心しました。また、おばあが最近になって行きつけのスナック「君佳」でカラオケを聴いて気に入った「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」という曲をどうしても三線でマスターしたいと思い、石垣の白保に住む三線弾きの男性から一対一で曲を習います。この時のおばあの様子や、家に帰ってからも曲を吹き込んでもらったテープを熱心に聴きながら一生懸命歌を自分のものにしようとしている85歳のおばあの真剣な表情を見て、「帰ったら三線練習しないと!」と思ってしまいました。

特に胸に響いたのは、おばあのよき理解者(カレシとして紹介されていました)である大田さんの自宅の庭に建てられた留魂之碑の前でおばあが歌う場面。昔、戦争中に中国から大豆を運ぶ安東丸という船が遭難して、乗組員であった中国人や韓国人は旧日本軍に捕らえられ、1日におかゆ1杯の食事で強制労働させられた上、日本が敗戦するとその事実を隠すために西表の鹿川という場所に置き去りにされたそうです。ここは廃村も同然で、彼らは言葉も土地も分からず、衰弱し、餓死したり、まだ西表のいたるところで流行っていたマラリアに感染して全員祖国に帰れないまま死亡したそうです。そういう浮かばれない魂をここにまつって彼らのことを忘れないようにという思いから、大田さんが個人的に建てた碑なのです。その話を悲痛な表情で聞いていたナミィおばあが、彼らの魂を慰めるために「アリラン」を歌います。そして、その演奏が終わった後、ポツリと「すみませんでした」と言って頭を下げました。それを見ていて、本当ならウチナンチューであるおばあではなく、ヤマトの人間が言うべき言葉なのにと思うと本当にやりきれない気持ちとおばあへの感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

多分全国で数本しかフィルムがないらしく、各地での上映期間は短いけれど、もし機会があればぜひとも多くの人に見てもらいたい映画です。沖縄や三線が好きな人はもちろん、そうでない人にも...。もし興味のある人は、こちらの公式サイトに上映予定などが掲載されています。また、こちらのサイトには、この映画ができるにいたった経緯や、おばあと大田さんの出会いなどについても書かれていてとても参考になりましたのでぜひ覗いてみてください。

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台湾訪問時のおばあ。台湾には日本語を理解する人たちがまだたくさんいます。日本の歌を知っている人たちもたくさんいます。このシーンは少数民族の村のようですが、ハンセン病患者の療養所ではおばあは日本語の歌を知っている患者さん達の前で三線を弾き一緒に歌を歌います。おばあがこの施設を訪ねたのは、大田さんの勧めからです。大田さんは、今は沖縄でも忘れられかけている、ある八重山の歌を残そうとしています。その唄は「宇根ぬ親ゆんた」(うにぬやゆんた)という曲です。この曲の内容は、ハンセン病にかかってしまったため、手足の指を失い、夫や家族にも捨てられてしまった女性の嘆きを歌った悲しい歌です。歌詞の最後に「もし沖縄本島に行かれたら、5本の指を買ってきてください。10本の指を買ってきてください」という意味の歌詞があり、劇中でもこの部分が流れていました...。

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このシーンは、与那国島のクブラバリ(久部良割)というところで亡くなった女達のためにおばあが唄を歌うシーンです。人頭税のため与那国が困窮していた時代、口減らしのために妊婦に岩の亀裂(幅は3m、深さは7m)をこちらからあちらへと飛び越えさせ、飛び移れた者だけが助かるという風習があったとか...。身重の体ではほとんどの女性は落ちて死んでしまっただろうし、飛べても流産したのではないかと言われています。おばあはこの場所のことを話には聞いていたけれどやっと歌うことができるといい、お酒をまいてこの地を清め、唄を歌っていました。
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by cita_cita | 2006-10-10 00:35 | 映画
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