沖縄やんばる旅 2006 その3
沖縄の幹線道路である58号線沿い、JALプライベートリゾートオクマがある奥間の近くに、道の駅ゆいゆい国頭(くにがみ)という場所があります。この手前の道を右折して山の方に入っていくと比地大滝という滝に向かうトレッキングコースの入り口があります。ここはやんばる地域でも人気のエコツアーのメッカになっていて、亜熱帯林の植物の茂る森の中を川の流れに沿ってさかのぼっていくとやがて大きな滝に到達するというコースで、道もよく整備されていて途中色々この地方特有の生き物も見られるのです。「なんくるなく、ない」の中でよしもとばななさんが案内してもらったのも、この近辺の森だと思います。というのは、その本の中でばななさんを案内されたエコガイドの久高将和さんという方が道の駅ゆいゆい国頭に事務所がある国頭ツーリズム協会の所属だったのです。本当は私もこの協会のツアーに参加したかったのですが、前日までにツアー参加希望者が私だけだったため、ツアーそのものの催行がなかったのです。今考えれば、せっかくあそこまで行ったのだからツアー参加でなくても1人で個人ガイドをお願いすればよかったかなと、ちょっぴり後悔していますが、まあ、そこに行くまでにもたくさん楽しい体験ができたので、次回の楽しみにとっておこうかと思います。
祖国復帰闘争碑 全国のそして全世界の友人へ贈る。 吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。 “鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。 しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。 見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。 しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。 これを読めば分かりますが、この記念碑は決して本土復帰を単純に祝うためだけの碑ではないのですね。最初はそのつもりで読んでいたので、読み進めるにつれ、最後の方でちょっとびっくりしました。そして、この地に立って、沖縄の住民と米軍の関係について改めて考えさせられました。 最北端まで来たけれどもう少し車を進めます。今日の最終目的地は「奥」という集落です。奥はその名の通り、沖縄本島の最北端にある集落で、鹿児島から海を渡って那覇まで続く国道58号線の沖縄での北の起点であり、そして昨年100周年を迎えた沖縄最初の共同売店(沖縄の共同売店制度のルーツ)がある場所です。また、日本で一番早く新茶がとれるお茶の産地でもあります。 奥を出たのは夕方5時。本当ならここから東側の県道70号線で帰ろうと思っていたのですが、東側の道は西側より距離が長そう(地図を見ただけでもそう思った…)なのであきらめて来た道をそのまま戻りました。結家には6時すぎに到着し、シャワーを浴びてまた「うみさち」コース。そして、宿に戻り宴会に参加してワイワイ飲んでいるうちに2日目の夜は更けていきました…。
by cita_cita
| 2006-10-02 23:57
| 沖縄
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