「対岸の彼女」 角田光代

e0066369_21325725.jpg角田光代を一躍メジャーにした直木賞受賞作品。
「大人になったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる。働いている女が、子供を育てている女となかよくなったり、家事に追われている女が、いまだ恋愛をしている女の悩みを聞いたりするのはむずかしい。高校生の頃は簡単だった。一緒に学校を出て、甘いものを食べて、いつかわからない将来の話をしているだけで満たされた。けれど私は思うのだ。あの頃のような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、と。」 これは、角田光代本人が、単行本発売にあたって、帯を飾る言葉として書いた紹介文です。この文章を本屋の店頭で見かけて、この作品を手に取ってみたひとはきっと少なくないはずです。

上手く公園デビューできず悩んでいる「30代半ば、子持ち、専業主婦」の女性と彼女がパートを希望して面接した会社の女社長、「同じく30代半ば、独身、もちろん子供なし」。こんなふたりが主人公の話というと、「ああ、ちょっと前に流行った勝ち犬・負け犬の話か」と短絡的にイメージしそうですが、実はこの話の中核となるのはそんな単純な構図ではありません。

この物語の中には、色んな種類の人間関係がさまざまに場面と形を変えて出てきます。公園にあつまる母親たち、保育園・幼稚園に通う子をもつ親たち(しかも保育園と幼稚園ではカラーが違う)、嫁と姑、夫と妻、干渉好きの母と娘、娘に対し遠慮がちな父と娘、会社の同僚同士、雇用者と従業員、学校に存在する色んなグループ、女子高での親友同士…それぞれがリアルに描かれているだけに、読んでいて人事とは思えず、つらい部分もあります。子供のときに仲間はずれにされたくないと必死になった、そんな学校での人付き合いの難しさは、学校を卒業しても、就職しても、結婚しても場所と相手を代え、形を変えて多分一生ずっと続いていく。そんなわずらわしい人間関係のなかでも私たちは生きていかないといけないんですよね。でも、その中で自分を見失わず、周囲に流されすぎず、自分はどう生きていきたいのかを考え、悩みながら生きている登場人物、そうでない登場人物。この本にはどちらも出てきます。

この作品の舞台は日本であり、登場人物は日本人ばかりですが、人付き合いの難しさ、そこから逃れることの難しさは、いつ、どこにいてもついてきます。たとえ、「この国は人付き合いがややこしいから」と日本を飛び出して、世界のどこにいっても、それがアメリカであっても、ヨーロッパであっても、東南アジアのどこかの島であっても、それはどこにいっても必ず追いかけてくる普遍的なテーマなのでしょう。

「私たちは何のために歳を重ねていくのだろう」という問いかけが何度も出てきます。それと並んでこの本の大きなテーマになっているのは「友達」です。子供でも、大人でも、どの世代にも信じられる友達は必要で、でも本当の友達を見つけることの難しさも描かれています。友達と思っていた人がそうでなかったのだ分かったときの落ち込み、かつて確かに友達であった人と歳をとるにつれ自然に離れて行くときの寂しさ、本当の友達と出会えたときのうれしさ、この人が友達でいてくれて本当によかったという喜びも書かれています。 途中、主人公の気持ちが痛く辛い部分もありましたが、最後はいい終わり方で描かれていて、読んでよかったなと思いました。そして、自分も歳を重ねていく中で、この人と出会えてよかったと思える友達を大切にしていきたい、そして友達に大切にしたいと思ってもらえる自分でありたいと思いました。

「対岸の彼女」というタイトルも、全て読み終わった後では非常によく考えられた絶妙な題名だなと思います。川のこちら側にいる私と向こう側にいる彼女、お互いの抱える悩みや環境はひとりひとり違っていて、でもそれぞれが精一杯生きている。「対岸の火事」という言葉は「(決してこちら側にやってくることのない)自分とは関係のない出来事」という意味で使われますが、このタイトルは決してそういう意味だけではないと思います。「対岸の彼女」を「自分とは関係のない彼女」にしてしまうか、「川を渡れば向こうにいる彼女」とするか。それを決めるのは私たち自身。人生の中で、橋を作って、川を渡って会いに行こうと思える友達を一人でも持っていられたら幸せだなと思います。
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by cita_cita | 2006-03-08 21:33 | 読書
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