「旅をする木」 星野道夫

e0066369_1645466.jpgこの本が最初に出たのが今から10年前。私がこの本を初めて読んだ当時、星野さんはまだ生きていました。その翌年、1996年の8月にカムチャッカ半島で取材旅行中にヒグマに襲われて、星野さんは亡くなりました。それは彼が出演するはずだった映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第三番」のクランクインのわずか1週間前でした。主演男優を失ったこの映画は、そのまま撮影が続けられ、彼をとりまくエスキモー(差別語という人もいますが私はこの呼称に尊敬をこめて、あえてこう呼びます)やその他アラスカの仲間たちが星野道夫という人間を語るという形式に変更され、完成しました。映画は素晴らしい作品で、それについてもまたいつか紹介したいと思いますが、今日は10年ぶりにこの本を読んでみて感じたことなどを書いてみようと思います。

まず、やっぱり同じ本でも読んだ時の自分の年齢、それまでの経験、その時置かれている状況によって印象が変わるのだなということを改めて実感しました。失礼ながら、正直、この本、こんなに心に残る本だったっけ...と思ってしまいました。前に読んだときも、いい本だなと思ったのですが、何というか、あまりにも自分の世界とかけ離れているというか、冒険家であり世界を股に掛けるカメラマンの特別な体験談のようにしか受け取れなかったのです。でも、今回読んでみて、星野さんの書いている一言一言がもっと深みを持って訴えかけてきました。当然ながら、彼の行動範囲や経験の広さというのは、今の私にとっても全く比べものにならないし、星野さんは本当に偉大な人物です。でも、アラスカという第二の故郷で出会った様々な人たちに対する彼の思いや、息を呑むようなアラスカの大自然に接するときの彼の気持ちの高揚に妙な親近感を覚え、今はそうでなくても、いつかこう感じられるような人間になりたいなと何度も思わされました。

この本を読んでいると、星野さんがいかに人との繋がりを大切にしていたか、そしていかに彼らに大切にされていたかがよく分かります。そして、自分のそれまでの生活と全く違う世界や、全く違う価値観と出会ったとき、どう対応するのか。「自分が知っている生活だけが全てではないのだ」と目からウロコが落ちた後、日常生活の中で自分がどう変わっていけるのか。そういったことについて彼の思うことがたくさん書かれています。これは私にとっても一生のテーマにしていきたいことです。

アラスカは私にとっては非日常の象徴みたいな場所だけど、そこに住む星野さんにとっては日常でもありました。でも、彼はいつもアラスカの日常の中にはっとするような瞬間を発見し、ドキドキするような感動を味わっていました。これは誰にでもできることではないと思います。私は、旅行をしている時以外は毎日決まった時間に会社に行って、パソコンに向かい、地下鉄で家に戻って同じ布団で眠るという生活を繰り返しています。そんな毎日の中で、たまに仕事でストレスをためたり、家族と実にしょーもないことで喧嘩したり、休日に友達と飲みに行って大笑いしたり...。でも、私がこうやって部屋でキーボードを叩いている間にもアラスカではクジラが跳ねたり、バリの友達はお祈りをしていたり、カレン族のみんなはロウソクの明かりの中赤ちゃんを寝かしつけているのかななんて、そういうことをふと考えてうれしくなれる、そんな感覚を持ち続けていければいいなと思っています。

谷川俊太郎さんの詩に、私の大好きな「朝のリレー」という作品があります。
星野道夫さんの作品を読んでいると、なぜかこの詩を思い出すのです。

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(「朝のリレー」 谷川俊太郎)

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by cita_cita | 2006-01-31 23:53 | 読書
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