「王国その3 ひみつの花園」 よしもとばなな

e0066369_2383560.jpg王国シリーズは、ばななさんの作品の中では比較的地味なんだけど実はもう3冊目なのです。そして、実は「王国その1 アンドロメダハイツ」は、ばななさんが「吉本ばなな」から「よしもとばなな」に改名した記念すべき作品です。

この人の作品については、「表現力がすばらしい」という人と、「プロとしては文章が稚拙すぎる」という人と意見がまっぷたつに別れるのですが、それは、ばななさんの表現がかなり感覚的なものであることに尽きると思うのです。文章が下手というのはつまり、ばななさんが平易な表現やひらがなを多用していることがそう思わせるのかもしれませんが、結局人の感じることなんて、驚きであれ、喜びであれ、そして悲しみであれ、それが本能的な反応であればあるほど表現の仕方は単純になってしまうと思うのです。あまり上手な例えではないけど、大切な人が自分を特別に思ってくれていることを実感できたら、きっと心の中でごく単純な言葉で喜びをかみしめるはず。「ああ、ものすごくうれしい!最高!生きててよかった!」なんていう風に。それを、「この人が自分に対して好意を持っていてくれると確認できたことで私は今、過去無かったほどの幸せな気持ちを感じているのだな...」なんて冷静でいられるはずがない。だからこそ、私にとってはばななさんの文体が、自分の感覚としっくりはまってしまうのだけど...。ただ、彼女の感性と波長が合う人にとっては、個人的な内面の感覚を「その気持ち分かりすぎる!」と思えるほど見事に表現してくれる作家であると同時に、合わない人にとっては「わけの分からない部分がありすぎて、結局何が言いたいのか分からないままだった」で終わってしまうはず。
実は、ばななさんのそういう感覚的表現の数々は、多少省いてしまったとしても物語の大筋には影響がないような気がします。だから、その感覚に共鳴できない人にとっては、これらの表現は物語を読みにくくする邪魔者のように感じられるかもしれません。でも、共鳴できる人にとっては、その表現が随所にちりばめられていることこそが「よしもとばなな作品」の魅力だと思うのです。

さて、本作の中でも心に残る表現がたくさん出てきました。
「ほんとうはさほどしたくないことに流されるときは、口数が多くなって、全身がそわそわして、おなかの底に小さく思い塊が生じる。それがどんどん大きくなって、現実の中にどかんときたときに「やっぱり」と思うのだ。」
「ほんとうのことというのは、時としてなんと残酷で露骨なのだろう。私はそう思いながら、傷のある生き物みたいにじっとしていた。なるべく何も動かさないように、もちろん心も。」
「何かをつかもうという感じで来る人の方が、全てまかせきっている人よりもこちら側としてはやりやすいのだ。~中略~全てまかせきってなんとかしてください、という人の場合、一見開かれているようだが実は心の扉は閉じていて、それを開くまでにひとつエネルギーを無駄に使うことになる。」
「過去の亡霊は頭の中にいて、たまに全身に満ちてくる。すると体から頭が離れてしまい、どんどん昔の影に飲み込まれていく。おそろしい底なしの影は、自由自在に伸び縮みしていちばん痛くて弱いところだけを大きく引き伸ばして私を痛めつける。悲しみはいつ襲ってくるかわからない。気をゆるめずに一歩一歩、歩んでいかなくてはならない、そういう気がした。」
「星も空気も草も木も精霊もなにもかもがみっちりと勢いよくひしめきあっている…息をするだけでエネルギーが入ってくるし、目を開けているだけでどんどん命の輝きが降ってくるみたいな、あのぜいたくな感じは山だけのものだ。たまになにかの拍子にそれがすっと入ってくることがあると、まるで絞りたてのジュースを飲んでいるみたいに甘く生きている瞬間だと思う。」

私にとっては、「絞りたてのジュースを飲んでいるみたいな」瞬間を感じられることは、旅の最中によくあるような気がします。今年もたくさんそういう瞬間を感じていきたいなぁ...。
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by cita_cita | 2006-01-25 23:08 | 読書
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