「いつも旅のなか」 角田光代

e0066369_0405978.jpgこの本には角田さんの旅の記録がたくさん収められていて、そのひとつひとつのエピソードがとても面白いのだけど、あとがきもまた秀逸です。角田さんは、この本の中で、モロッコ、ロシア、ギリシャ、オーストラリア、スリランカ、ハワイ、バリ、ラオス、イタリア、マレーシア、ベトナム、モンゴル、ミャンマー、ベネチア、ネパール、プーケット、台湾、アイルランド、上海、韓国、スペイン、キューバを旅しています。私が行ったことがないけど行きたい場所もたくさん出てくるので読んでいて楽しかったです。

旅のエピソードの中で好きなのは、ロシアの話、ギリシャの話、イタリアの話、そしてプーケットの話です。

ロシアでは、国境を越える列車でものすごくトイレに行きたくなったのに、屈強な乗組員に断固阻止されて行かせてもらえなかった同行の編集者の女性の話が出てきます。トイレの近い私にとってはすごく緊迫感に満ちた話で、ものすごくドキドキしながら読みました。

ギリシャでは、35歳を目前にこれまでの貧乏旅行を脱却してリゾートを体験しようとします。角田さんのリゾートの定義は、青い海と空があること、移動せず、豪華ホテルで何もせずのんびりすること、ホテルのレストランで食事すること、そして地酒を飲まないことなどです。でも季節はずれの地中海、ロードス島にすぐに飽きてしまい、発作的にバスを乗り継ぎ、歩き回ってヘトヘトになり、村の食堂で老人に囲まれてウゾー(ギリシャの地酒)を飲みながら「ああ、気がつけば移動、気がつけば安食堂、気がつけば地酒。リゾートからずいぶん遠くに来たもんだ...」とこっそり思うのです。

イタリアではガイドブックの「犯罪の手口」のページが他の国より多いのにビビリまくり、実際に行ったことのある友人に「イタリアはどのぐらい危険な場所か」と質問して「はあ?何言ってんだ」という反応をされます。色んな手口に備えてお金を小分けにして、ビクビク歩いたフィレンツェの観光客の多さと人の陽気さに「もしかしてここは思ったより安全なのでは...」と気付き、自分が友人にした質問は、イタリアに行ったことのある人にとっては「ちょっと府中に行きたいんだけど、殺されないかしら?」というぐらい突拍子も無い質問だったのだなと反省します。

プーケットの話は、一番好きな話。実際にはプーケットはあまり出てこなくて、タイを好きになって何度かタイを旅して思ったことが書かれています。1991年に初めてタイに行きます。91年のタイはまだ貧しくて、物乞いの子供にたくさん出会ったり、血と肉の匂いのする市場を歩き、長距離バスのトイレ休憩で停まった食堂には裸電球がぶら下がり、配給のようにみんなと同じトムヤム麺を食べ、薄汚れたトイレを利用します。そんなタイに初恋のように惚れ込んですぐ翌年タイに行き、でも「タイのように好きになれる場所が世界にどのぐらいあるのだろう…」と思い立ち、その後しばらくタイから離れ、旅先は他の国へ。7年後、1999年にタイを訪れるとバンコクはものすごく都会になっていてみんなお金持ちになっていました。贅沢品だったシンハービールをみんな普通に飲んでいて、高級デパートもタイ人で混雑しています。タイはこの7年の間にバブルとバブル崩壊の両方を経験していたのです。その翌年、2000年にあの長距離バスにもう一度乗って、同じ場所でトイレ休憩を取りました。すると、あの食堂は天井に明々と蛍光灯が光る立派なレストランになっていました。トイレに行くと前にいたタイ人の女の子がドアを開けるなり「汚~い!こんなところ入れない!」と出てしまいました。恐る恐る中をのぞくと、普通の水洗トイレで、タイルの床に数匹の蛾の死骸が落ちているだけ。10年前は、床は水浸しで、手桶で水を流して、横には汚れた紙が詰まったカゴがあって、それでもみんな平気で用を足していたのに…。でも、ここで角田さんはタイは変わってしまった…などと憂いたりしません。蛾トイレの中でタイ人の清潔感の変化に感動すら覚えるのです。ある国で、何か世界観みたいなものが大きく変わる、揺らぐ、それを全身で体感することは、現代の日本ではもうできないこと。それを体感できたのはおそらく70年代までだったはず。 タイを通して、それを経験できたことに角田さんは感動し、それでも変わらない確固たる芯の部分(例えば市場の風景や地図を広げると親切に寄ってきてくれる人たち)をタイが持ち続けていることを確かめて、「私が最初に惚れた男は、惚れてしかるべき魅力のある男だった」と安心するのです。

最後に、あとがきを読んで、なるほど...と妙に納得してしまったので、その一部分を紹介します。
「旅は読書と同じくらい個人的なことで、同じ本を読んで感動する人もいればまったくなんにも感じない人がいるように、同じ場所を旅しても、印象は絶対的に違う。ときとして見える光景すら違う。さらに読書よりももっと刹那的だ。去年旅した同じ場所を、今年になって訪ねてみても、見えるものも印象も出会う人も、確実に違ってしまう。旅は一回こっきりだ。終わってしまったら、その旅はもう過去になる。二度とそれを味わうことはできない。~中略~旅は終わってしまうとするすると手を離れていってしまう。そのとき目にしたものは、永遠に消えてしまう。旅で見たもの、出会ったもの、触れたものに、私はもう二度と出会うことができない、書くことで、かろうじてもう一度、架空の旅をするしかできない。いや、書くことで、架空にしろ、二度とできない旅をもう一度することができるのだ。」

角田さんの著書「この本が、世界に存在することに」の中で、「本との関わり方は、人の数だけある」ということや、「だってあんた、開くだけでどこへでも連れてってくれるものなんか、本しかないだろう」という文章があるけれど、この2つの本を読んでみると、角田さんにとって本がとても大切なものであると同時に、旅についても同じく特別な感情を持っていることが分かります。本との出会いや付き合い方も、人とのそれと同じく、時には自分に大きな影響を与えてくれるものだし、旅もまた人との出会いそのものだと思うのです。
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by cita_cita | 2006-01-22 23:31 | 読書
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