「二重被爆~語り部 山口彊の遺言」

お盆休み中に戦争関連の映画を2本見てきました。こちらはその1本目。

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山口彊(つとむ)さんは自宅のある長崎から造船工場の設計技師として長期出張で広島に行きました。翌日に広島での業務終了を控えた8月6日の朝、通勤途中に被爆しました。大やけどを負い、どうせ死ぬなら一目だけでも妻子に会いたいと、翌日の救援列車に乗って1日がかりで長崎へたどり着きました。しかしその翌日、長崎にも原爆が投下され、再度の被爆。二重被爆という宿命を背負って生きることになりました。
彼は長い間、家族への差別を避けるために被爆体験について積極的に語ることはしませんでした。また、反核の運動に参加しようとした際も、二度も被爆した人間がこれまで長生きしていることが、逆に核を肯定する団体にとって反論の好材料になってしまうかもしれないという理由で周囲に反対され、断念したこともありました。
しかし自分が二重被爆をしたこと、それにも関わらずこれまで生かされてきたことの意味を問い続けてきた山口さんは、90歳になったとき、本格的に語り部としての活動を始めます。彼を語り部として取り上げた「二重被爆」という映画が上映されたのを皮切りに、生まれて初めてパスポートを取得して渡米し、自ら書いたスピーチ原稿を持って国連本部とコロンビア大学での講演を行いました。また、日本でも数多くの公演を精力的にこなしました。その後、原爆の後遺症とみられる胃がんの悪化により2010年1月に93歳でお亡くなりになりました。

この作品は、語り部としての活動を始めてから、お亡くなりになるまでの3年間の山口さんを追いかけた記録映画です。山口さんは「タイタニック」などの監督であるジェームズ・キャメロン監督に手紙を書き、自分の思いを伝えます。そして病床の山口さんに、キャメロン監督が会いに来る場面があります。その時の山口さんはもう声を出す力もなくなっていたのですが、原爆被害をテーマにした映画を必ず作りますという監督に対して、「私の役目は終わった、あとはあなたに託します」と伝えます。そして、その10日後に天に召されました。

数多くの公演をこなした山口さんでしたが、原爆体験を伝えるとき、何度語っても、ところどころで涙で胸がつまって言葉にならない場面がありました。ご自分で自費出版された「人間筏」に収録された短歌を口にしながらも嗚咽をもらしておられました。
「大広島 炎(も)え轟(とどろ)きし朝明けて 川流れ来る人間筏」
人間筏(いかだ)というのは、広島で原爆が落ちた翌朝、長崎へ帰るための列車に乗ろうと駅に向かう山口さんが、川の手前までやってきて見た一生忘れられない光景、数え切れないほどの人間が黒こげになって、筏のようにひっついて川を流れていった光景のことです。

私のつたない文章で山口さんの思いを伝えきることはできませんが、この映画の最後、エンドロールが終わったあとに流れる、生前の山口さんのメッセージが心につきささりました。

それは、このような内容でした。「核は人間の世界にあってはいけない。平和的に利用するといっても、今の技術では限界がある。それを伝えるために、私は今も生かされている。平和的に利用するといっても、技術の限界があり、事故は防止できない。私は技術者のはしくれだから、分かるのだ。核が無くならないなら、人類は滅亡に近づくと思う。」
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by cita_cita | 2011-08-19 22:44 | 映画
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