「空気人形」

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立て続けに映画の話題など。

韓国のキュートな演技派女優、ペ・ドゥナをキャスティングした作品です。彼女は東京の下町に一人で暮らすファミレスの店員、秀雄(板尾創路)と一緒に暮らす空気人形。彼と一緒に食卓につき、話相手になり(もちろん実際には秀雄が一方的に喋ってる)、お風呂に入り、ベッドも共にする。

秀雄は人形に「のぞみ」という名をつけ、「今日もキレイや」と毎日髪をなで、話しかける。するとある日、人形が動きだし、心を持ってしまう。メイド服を着て町に飛び出し、子供のように見るもの全てに驚き、そして出会った青年、純一(ARATA)に恋してしまう。彼の勤めるレンタルビデオ店でアルバイトを始め、映画という言葉の意味さえ知らなかった彼女が、少しずつ店員としての仕事や映画のタイトルも覚えていく。

子供が少しずつ成長していくにつれて少しずつ色々なことを経験するように、彼女は毎日の生活の中で人間が感じる新鮮な驚きや、喜びや、ウソをつくことや、人を好きになる切なさや、嫉妬の苦しさなど、人が生きていく上で経験する素敵なことも辛いことも知っていく。そして、一日が終わるとまた秀雄の家に戻り、人形としての時間を過ごす。空気人形は、生まれたての赤ん坊のように純粋だけれど、でもその反面、人間の性的欲求を満たすためだけに生まれてきた代用品という矛盾も抱えている。このことが時に彼女を苦しめることにもなる。

後半は非常に濃密な描かれ方をしているので、あえてここで私が書くよりは映画館で見るほうがいいと思うけど、とにかくずっと目が離せなくて、しかも終盤の展開にはあっと度肝を抜かれてしまいました…。思考がストップしてしまい、一瞬何が起こったのか認めるのを頭が拒否してしまうぐらい予想外の展開にびっくりしました。

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この映画のテーマである空気人形って、カラダの中は空っぽで空気しか入ってない。彼女はそれを恥じて、自分を人間と比べて「私の中身はからっぽ」だといいます。からっぽなものの象徴として、他にもラムネのガラス瓶や電飾が出てきて、彼女は無意識ながらそれに惹かれるものを感じる。そして、別の意味では、ここに登場する人間全てがそれぞれ自分の中に何かしらからっぽな部分を抱えながら生きている。人との関わりを煩わしく思い、人形しか愛することのできない中年男性、メイド服のフィギュアを机に飾っては自慰行為にふけり、悶々とした毎日を送る浪人生、ニュースに出てくる凶悪犯罪をメモにとり、自分が犯人だと交番に告白しに行くのが日課の老婦人、荒れ果てた部屋の中でひたすら食べては吐くことを繰り返す過食症のOL、自分が歳をとり美しさに陰りが出てくることを認めたくない受付嬢、そして一見明るく振舞いながらも、日常のやりきれなさや鬱屈をどこかにぶつけたい、そのギリギリのラインにいるビデオ屋の店長。

空気人形が、散歩をしているときに出会うひとりの老人、彼もまた確実に近づいてくる死を静かに見つめながら「自分もからっぽだ」といいます。卵を産むためだけに成虫になり死んでいく蜻蛉(かげろう)の体の中がからっぽなのと同じだと。そして彼もまた若い頃は「代用教員」であったと。その老人が、ある詩(吉野弘「生命は」)を彼女に教えてくれます。

「生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい」
「生命はその中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ」

この詩の言葉の通り、空気の抜けてしまった自分の体を、彼女の愛する純一の息でいっぱいに満たしてもらう場面が出てきます。この場面を是枝監督は一番描きたかったそうですが、本当にキレイで、印象的で、官能的な場面でした。あのシーンだけでもまた見たいと思うぐらい。

色んな意味で、考えさせられる映画でした。今回はペ・ドゥナの演技がすばらしくて彼女中心に見てしまったのですが、次は彼女を取り巻く登場人物それぞれに目を向けて見たいと思います。
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by cita_cita | 2009-10-21 22:06 | 映画
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